何か悩みごとはありますか?
悩む・・・どういうことなんでしょうね?
私は悩むという行為が好きではありません。
って、好きとか嫌いとかの問題ではない、と思われるかもしれませんけれど、
私は好きではありませんので、出来るだけ悩むという行為を遠ざけるようにしております。
遠ざける方法は、ただひとつ。
「考える」です。
それでも、悩んでしまうことが無いとはいえません。。。
「考える」と「悩む」の決定的な違いは、私が思いますに、
「欲」が有るか?無いか?
だと。
ある悩みごとを前にしまして、考えるとした場合には、結論は考え終わるまで分かりませんでしょ?
結論が出ていることを、考えるって、意味がありませんものね。
ただひたすら、科学的な態度で考えていき、結論は望むものか、望まざるものかは関係なく受け入れる。
ところが、悩む場合といいますのは、
望ましい状態に達して欲しい
という想いが強いんですね。
望ましい状態に達して欲しい・・・けれど、どう考えてもその状態にはならない、
ということが、心の奥では分かっている・・・いるにもかかわらず、やはりどうしても、その望ましい状態を望んでしまう。。。
つまり、考えるということは、自分が出来ることに目を向けていくことであるのに対しまして、
悩むということは、自分には出来ないこと(力の及ばないこと)に、目を向けるということですね。
悩んでも仕方ないとは、まさにその通り。
出来ない(力が及ばない)ことは出来ない(力が及ばない)ですから。
それでも、やはりどうしても悩んでしまう・・・あぁ、欲が強い。。。
欲が強いと思うしかないですね。
考えることが出来ず、どうしても悩みが消えない場合の解決への第一歩は、
「私はなんて欲が強いんだろう。。。強欲なんだろう。。。」
と思うこと。
そして、強欲は心も体も蝕んでいく、ということを知り、感じることかしら?と。
悩みごとの中味を見るのではなく、自分の「欲」の存在を見るようにすることで、
自分の愚かさに気付き、悩むことの愚かさに気付き・・・
で、「悩む」ということから無事解放される。
と、そんな簡単にいったら苦労しないわよ、と思われましたでしょうか?
けれど、悩むということが苦労であるならば、どちらの苦労を選ぶか?ということだと思いません?
むろん、悩むことが苦労ではなく、楽しいのだとしますと、無理に悩むことからの解放を願うこともないわけで・・・
期間を決めて、悩むことを楽しむのもいいかもしれませんね。
さてさて、悩みましょうか?どうしましょうか?