オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

全盲の方が「見る」

ある生まれつき全盲の人のお話なのですが、その人はよく「海を眺めに」行くとのことで、
といって、もちろん見えるわけでは無いのですけど、
浜辺に立つとその広々とした空間を感じるということなんです。

「海の広がり」を感じる。

目が見えなくとも、「海を眺める」ことが出来る。

一方で、目が見えないので色を知らない。
「バナナが黄色である」ことは知っているし、イチョウの葉と似ていることも知ってはいるけれど、
「黄色」を感じたことはない、と。

色は知識であって、感覚ではない。


!!!これなんですよっ!

これがまさに、私がいつも言っているところの、表現で大事なところなんですよ。

マイムで花を表現するときに重要なことは、色ではありません。何色でもいいんです。
感覚に結びつかないものは、ただの情報。

マイムでもし海を見ているという演技をする場合、海を想像することが重要なのではないんです。
広さを感じることがなければ、ただの妄想。

この間の呼吸クラスでの後半に、『エモーショナル・ボディワーク』としまして、
360度地平線というものを経験してもらいました。

ある女性は、いつもは感じることより演技することに心が行ってしまうんですけど、
この時は、目をつぶっていたせいもあるんでしょう、
本当に360度見渡す限り何も無い空間に立っていることを感じていたんです。

と、私には感じられたんですよね。

360度の地平線に対する喜びとか驚きとか、そういった感情ではないですよ。
ただあくまでその空間の広がりを感じていた、ということなんです。

普段、私たちは目に頼って情報をキャッチしていますから、演技をする際も、それを再現しようとしてしまうんですね。

目の前に花があることをイメージしようとする・・・しかしながら、それは表現とは直接には結びつかないのです。

感覚が変わらない限りは、フェイク(嘘)の演技。

感覚が変わるということは、すなわち身体が変わるということ。

ですから、私が考える身体表現としてのマイムは、
身体の動作にあるのではなく、感覚の変化にあるんです。

ポーリッシュマイムの説明のしづらさは、このあたりにある気がするんですよね。


それにしましても、目の見えない人の感覚と似ているというのは、意外でした。
不可能ではありますけれど、目の見えない方に私たちのマイムを見ていただいたら、
すごく共感してくれるのかもしれないなぁ
と思ったりしました。