オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

楽しみましょ。楽しんでもらいましょ。

日本舞踊の稽古で、ある名取りさんがお師匠さんに言われていました。

たとえ普段、可愛くなかったとしても、パッと可愛くならなくてはいけない。
それが、芸の力だ。

う~~ん、、まさにっ!

これは、逆に言いますと、ふだん本当に可愛い人でも、実際に可愛いからといって、
舞台の上で可愛くなれるわけではないということなんですね。

これが演じることの面白さだと思うんですよ。

私はマイムの人は、ダンサーより役者寄りだと思っています。
人によりましては、ダンサー寄りだと考えるかもしれませんし、あるいは、マジシャン的にテクニックを披露することを大切に思っているかもしれません。

それは、それぞれですけれど、私の考えるマイムの面白さの大きな要素は、
自分ではないものになる・・・そう、演じることなんです。
(役者さんの演じるというのと、まったく同じではないんですけど・・・)

だいぶ前に書きましたけれど、マイムは「ごっこ遊び」です。

どれだけ究極的にごっこ遊びをするか?ということなんだと思うんですよ。
なおかつ、それが独りよがりではなく、人が観て楽しめるかどうか?なんですよね。

で、ここなんです。

「独りよがりではなく、人が観て楽しめるかどうか?」

演じるということにおきまして、多くの人が犯す間違いがここ。
つまり、独りよがり的にその気になるか、あるいは例えば、自分が女性だから女性に見えるだろうのような、その気になる以前のもので、
どちらにしましても他人の目を気にしていないということが、ままあります。

ふだん可愛くとも、芸の力がありませんと舞台の上では可愛く見えません。
ふだん可愛くなくとも、芸の力で可愛くなれる。


さて、日舞のお師匠さんはさらに、こうおっしゃっていました。

「身体をつかわなければ、だめなんだ。」

う~~ん、、まさにっ!

先程の「他人の目を気にする」ということが、イコール「身体をつかう」ことだと、私は思うんですよね。

身体に表れてこその、「その気」。

「その気」が身体に表れるのを待つか?
身体のつかい方で「その気」を呼び起こすか?


決して二者択一ではありません。
ありませんけれど、多くの人が前者のやり方しか知らず、戸惑っていると思うんです。
あなたはどうですか?

私は基本的に後者を薦めていまして、ただし、ここでいう「身体をつかう」とは、
『エモーショナル・ボディワーク』的なものでありますから、単に運動体として身体をつかうだけでは、用を足しません。

なにしろ、意識が変わらないといけないわけですから。
「その気」になってくれるような、身体のつかい方でありませんとね。

運動体としてだけの身体づかいでは、演じることの面白さは味わえません。
身体に表れない「その気」だけでは、あなたを知らない人は楽しんでくれません。


演じることを楽しむために、
人にも楽しんでもらうために、


もっと身体をつかいましょ。