オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

楽しんでもらえるように!・・・ですよね。

あぁ、、大きな反省です。。。

今回のアンサンブル作品「僕らはみんな生きている?」、
出演者のみんなは一生懸命やってくれていただけに、もう少し構成の仕方に工夫をして、観る人の混乱を招かないようにすればよかったなぁ。。。

きちんと伝わる人には伝わっていたりもするんですけど、
おおかた「分からない」「むずかしい」という感想になってしまいました。

(いわゆる)抽象的な作品でしたから、分からないかもしれませんけれど、
分からなくても伝わるようにしなければいけなかったと思うんです。

今回の「分からない」という感想のような分からなさを感じさせてはいけなかったんです。。。

反省。。。


マイム作品の場合、観ている人は何とかそのお話を読み取ろうとして、ひとつひとつの動きに意味付けをしていきますでしょ?

ここがダンスを観る時との、大きな違いですね。

ダンスでは、ひとつひとつの動きに具体的な意味付けをしないで観ますものね。

マイムを観ていて、もし理解の出来ない動きが出て来てしまいますと、
そこに引っ掛かり、その後の展開についていけなくなってしまいやすいんです。

観ている人はそのつまずき(こちらがつまずかせてるんですけど・・・)を乗り越えようと、前後の辻褄を合わせまして、何とか話に入っていけることもありますけど、
うまくいきませんと、もうそこでギブアップ・・・
あとはただ、ぼ~ぉっと眺めているしかなくなってしまうんですよね。

残る復活の道は、絵的に何かしらの解釈ができそうな場面が出てきた際、そこで何かを感じ取ることだけ。

まぁ、とは言いましても、いったんギブアップしてしまいますと、すでにその気力は残っていないかなぁ・・・


ちなみに「僕らはみんな生きている?」には、こんな文章を添えておいたんです。

 『私はみんなと同じ空気を吸って生きているの?
  みんなの目に私は映っているの?
  みんなは本当に仲良しなの?
  私はただ、溺れないようにするだけで精一杯です。』



さて、次回の舞台作品は7月4、5日のマイムフェスティバル(1年前と同じフェスティバルです)での私JIDAIのソロになります。
今回の反省を踏まえ、テーマや抽象度にかかわらず、観る人の混乱を招かぬよう、そして楽しんでいただけるようにと、心の底から思う次第です。