瞑想とひと言でいいましても、いろいろありますね。
そんな中で共通して大事なことに、考えないこと、思考をストップさせることがありますよね。
マントラをひたすら唱えるなんて、まさにいい例かしら?
ちょっと体育会系な感じがしてしまいますけれど・・・
勝手な解釈ですけれど、マントラが意味のない(実際に意味があるかないかではなく)言葉であるのは、
思考をストップさせるためにはとっても意味のあることなんだと思うんです。
なにせ瞑想といいますのは、我を忘れることで、何かに没頭、夢中になっている状態も、ある意味瞑想といえるわけですから、
わけの分からないことをひたすら念じ続けることは有効なのかな?と思うんです。
意味が分かってしまいますと、どうしてもそのことについて考えてしまいますものね。
ところで、瞑想状態というのは意識できるのかしらね?
意識できた時点で瞑想ではなくなってしまうような気もしますよね?
厳密には何をもって瞑想と言うのか?にもよるのでしょうけど、私は
「自分と自分以外のものとの一体感」
を感じた時が瞑想状態なのではないかなぁ、と思うんです。
それは一瞬かもしれませんし、そうでないかもしれません。
時間は関係ない。
例えば、自分が空間に溶け込んでどこまでも広がっていく。空間が自分であるような。
逆に自分の内側に入り込んでいき、その内側から外に出てしまうような。
内側に無限の広がりを感じながら、その広がりは自分の内にある。
そんな時って、私は私ではなく全てである。
『真呼吸クラス』でいつも私たちが味わっている感覚ですけれど、
そうでなくとも、あなたも本当の自然に触れているとき、自分が消える感覚になったりしますでしょ?
満天の星空の下で・・・
森の木漏れ日の中で・・・
自然との一体感でなくても、
好きな人と過ごす時間の中で、ふっと感じる相手との一体感。
美味しいものを食べているとき、一瞬その味に包まれるような感覚。
絵を観ているとき、音楽を聴いているとき・・・
日々の生活の中でそんな、まるで自分が消えたような、それでいて自分が全てを覆っているような瞬間、ありますよね?
つかもうとすると逃げてしまいますけど、その時間と空間に身をゆだねることはできますでしょ。
普段、私たちは私、私とちっぽけな自分を生きていますから、こんな「私が消えながら同時に私が全てである」という時間を体感するのは、とっても気持ちのいいものです。
観念的な瞑想ではなく、体感する瞑想、おすすめです。