「より少なく、かつ、より豊かに」
ポーリッシュマイムを学んでいる中で、テリーさんによく言われましたのが、
「最小限の動きで最大限の効果を上げろ」
という感じの言葉でした。
「それが芸術だ」と。
私にとりまして、それは非常に大事な言葉となっていまして、
作品をつくる際にはもちろんのこと、普段の練習でありましても、常にそのことが頭にあります。
(私が歩き方にこだわるのも、そのためですね。)
そんな中、たまたま新聞で見たのですけれど、デザイナーのディーター・ラムス氏の著書に
『より少ない、しかし、より良い』というのがあるようなんです。
ディーター・ラムス氏はドイツ・ブラウン社のデザイン部門を40年にわたって率いてきた方で、
その製品は機能主義のシンプルなデザインであるにもかかわらず、真の美が宿り、手放し難いものなんだそうですね。
で、その著書はまだ読んではいないのですけど、通ずるなぁ、と。
ところで、何度もここで紹介していますソロ公演、もうすぐそこまで迫ってきていまして、
今は各作品の最後の詰めを行っているところであります。
それは、どこまでが必要な動きで、どこからが余計な動きになってしまうのか?
を見極めるということなんですよね。
まぁ、動きに限らず、物語りでしたら、どんなエピソードが必要で、どんなエピソードは無くても構わないのか?といったこともありますけれど、それはもう少し前の段階での話。
とにかく今は、動きのタイミング・間(ま)や、力の加減、といったことの最適なところを探っているわけです。
何故そんなことをするのか?の答えは、ただひとつ。
観る人の無意識に入って行くため。
って、なんだかかっこいいですけれど、まぁ、あながち冗談ではありませんで、
なんだかいろいろデコラティブにしたり、分かりやすくしたりすれば、表面的には興味を持ってもらえるかもしれませんけど、
本当に心の奥に届くかどうか?といいますのは、ただそれだけ、つまり顕在意識だけにしか働きかけられないものでは、ダメだと思うんです。
観る人の無意識に入っていけた時、その作品は真に豊かな作品になるのだと思うんですよね。
もちろん、どうしたらいいのか?なんて答えは全く分かりませ~ぇん。。。ただ、ただ、試行錯誤~ぉっ!なんですぅ。。。
ここで、最初の言葉
「より少なく、かつ、より豊かに」
いい言葉を思い付けたなぁ、と我ながら思いましたわ。
豊かさといいますのは、決して表面的なものではありませんでしょ?
必要以上に余分な動きをしないことで、つまり動きを選び抜くことで、作品としての奥行きを深めていく。そう、豊かにする。
あぁ、そうなればいいなぁ。。。