オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

時間に耐えられますように

ある有名な料理評論家は、食べて直ぐには記事にしないそうでして、最低でも3ヶ月は空けるそうなんです。

私のような素人からしますと、食べた印象が消えないうちに書いたほうが、いいような気がしてしまいますけれど、その評論家曰く、

「3ヶ月経って、忘れてしまっているような味ならば、紹介するに値しない。」と。

う~ぅん、、これは素晴らしいっ!!!

聞いていて思いましたよ。
全てに通ずるなぁと。

世の中はどうしても即物的なところがありまして、
食べたり、観たりした、その時、その瞬間に美味しいとか面白いと感じられないと、
まるで価値が無いような振るまいをするところがありますでしょ?

けれど、価値といいますのは、時間にどれだけ耐えられるか?だと思うんです。
(これが唯一の基準ではないでしょうけれどね。)

瞬間的なものは、刺激の大きさがものをいいますでしょ?
それと刺激ではないものとしましては、分かりやすさですね。

食べ慣れた味、見慣れたもの・・・既食感、既視感かしら?
こいうった見知ったところの範囲に収まるものは、自分が一番感じやすく、安心感もありますから、
瞬間的にぐっと奥まで入ってくる感じ(あくまで感じ・・・)がありますものね。

で、確かにその瞬間的なものも大事だとは思うんです・・・思うんですけれど、それだけではないはずでして、
「自分の中に入ってから熟成するかどうか?」
大事だと思うんですよね。

熟成の時間に耐えられず、消えてしまうものは、やはりそれだけのもので、
口当たりの良さやその場の楽しさは供給してくれましても、決して身体の奥底からの喜び(悦び)にはならない。


私は作品をつくる中で、このことはいつも意識していまして、
何とかして
観て下さる方の身体の奥底、心の深いところに届くものをと思っているんです。

と言ってですね、その場、その時の楽しさがありませんと、熟成どころではなく、
その前にあっさりと捨てられてしまいかねません。。。あ~~~ぁぁっ!

やはり、その場、その時間の中で楽しさを感じてもらえることと、長い時間に耐えられることが両立するような、
そんな作品になればいいなぁぁ、ですね。

それには、
その作品がどんなテーマを内包しているか?
そのテーマを心の奥に届け得る構成になっているか?
テーマと構成を支えるテクニックがあるか?
自分の心が、テーマと構成とテクニックを包んでいるか?

そんなことが大事なのかな?と

とにもかくにも、いつも手探り状態での作品づくり。。。少しでも作った意味がありますように。。。