表現の世界では、
「技術ではないんだよ」
なんて言葉をよく耳にすると思うんですけど、
そう言っている人は大抵すっごい技術を持っていたりしますよね。
一方で、素人目にもそれほどの技術を持っていないことが分るけれど、
表現されているものは、いいなぁと思えるという人もいます。
では、
技術を磨くべきか、気にしないべきか?
どうしたらいいんでしょ???
私が思いますに、技術というものはその人が表したいと思うものを表すために存在するわけです。
つまり目に見えない(あるいは耳に聞こえない)自分の中にしかないものを、
他の人に見せるため、聞かせるための媒体であると。
その意味では、自分の中のものを表せているのならば、
技術そのものが他人からみて(客観的に?)上手かろうと下手であろうと構わないと思うんです。
ところで、素材ってありますでしょ?
デザイン的には同じものを作るにしましても、素材によって全く異なるものになるでしょうし、
これまでにない素材を手にすることで、表現できるものが変わるだけでなく、
表現したいもの自体まで変わってくることもあると思うんです。
それと、ものを加工する技術も。
例えば、
これまで鉄で何かをつくってきた人が、木で同じテーマのものを作ろうとは思わないでしょうし、
プラスチックも成型技術の進歩によって、作ってみたいものが変わってくるかもしれませんよね。
同じ絵でも版画になれば、絵のテーマそのものまで変わってきたりするかもしれないと思うんです。
何が言いたいかと申しますと、
表現したいものって、物凄く奥底では変わらないかもしれませんけど、
手にできる素材や技術にかなり影響されるのではないかと思うんです。
極端な話、
その素材、あるいはその技術に出会っていなければ、表現活動をしていなかったかもしれない、
という人もいるのではないか?
ということでもあるんです。
これを、身体表現で考えてみますと、
今の表現スタイルや表現テーマは、本当に自分が欲しているものなのか?
それとも今ある身体によって規定されてしまっているものなのか?
難しいところだと思うんです。
今とは違った身体を手にしたら、
「あぁ、本当はこういうことをやりたかったんだ。」
と思うかもしれませんでしょ?
技術を含めて身体は変えられるわけですし、
そう考えると、何だか楽しくありません?
技術とのつき合い方も変わってきそうですね。
マイムから心と身体の平和を http://www.geocities.jp/mime_jidai/