先日の公演では、3つの作品を上演しました。
その中で断トツで人気だったのが
『劫(こう)』
という作品。
「劫」といいますのは、仏教用語できわめて長い年月を表す単位でありまして、宇宙が始まってから終わるまでの期間が、一劫。
まぁ、想像をはるかに超えた時間ということですね。
この作品には、いわゆるストーリーというものはありません・・・
ありませんけれど、物語性はある、そんな感じのもの。
ダンスではありませんけれど、芝居風のマイムでもなく、もちろん舞踏とは全く違いますし、
観ていただく以外に説明の仕様がないのですが、静か~な15分ほどの作品なんです。
感想で多かったのは
「なぜだか、涙が出そうになり・・・」
の言葉。
悲しいお話ではありませんから、寂しい涙ではなく、あたたかな優しい涙だと思います。
中には幼稚園生!の女の子もこの作品で「涙が出そうだった」と、お母さんに言っていたらしんです。
さすがに、これにはびっくりしましたね。
この女の子は、どんな感性の持ち主なんでしょうね?
お母さんは我が子ながらに、びっくりしていたとのことでしたよ。
また別の面白いことに、ある方の『劫』の感想で、私はその演技は一切していないですし、それと間違えるような紛らわしいこともしていないのですけれど、
全く別の絵までもが脳裏に刻まれているようなんです。
おそらく『劫』での人の長い年月の営みを観て感じている中で、自然にイメージされたのだと思うんです。
嬉しいですね。
単に目に見えるものだけが見えるのではなく、それを通してさらにイメージが広がっていく。
この方は初めてパントマイムを観たという方なんですけれど、2回足を運んで下さったんです。
1回目はよく分からなかったそうです。
けれど、2回目ではぐ~っと入っていけたそうです。
1回目はどうしても理解しようという気持ちが強くなってしまいますけれど、
2回目になりますと感じる力が勝りやすくなるのでしょうね。
こうして、目に見える以上のものが見えて来るといいますのは、
作品が私のものではなく、観ていただいている方のものになった瞬間だと思うんです。
一生その方の身体に刻まれ続けることでしょう。
その方にとって、私JIDAIという存在は忘れても、作品は残り続けることでしょう。
最も嬉しいことです。
こんな幸せなことはありませんね。
JIDAIという存在を憶えてもらうことに意味はないと思うんですけど、作品(作品にかかわらず、言葉・行為・教え)が無記名性で憶えてもらえることは、
至上の喜び。
そんな作品を作っていければと思います。