オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

人を見せる演技?空間を感じさせる演技?

その人が見えるか?それとも
空間が見えるか?

ポーリッシュマイムの教えで大事なことのひとつに、空間を見せるということがあるんです。

例えば、
「未知の場所で不安あるいは怖さを感じで歩いている」とした場合、一般的には、

私が怖がっている」

ということを表そうとしてしまうんです。
いえ、表そうとしてしまう、というのではなく、そうとしか出来ない。。。

本当に「私が怖がっている」ことだけを見せたいのであれば、いいんですけど、大事なことは舞台の向こうで観客として見ている人に、

その空間の怖さを感じてもらうこと。

この違いは、ほんとに大きな違いなんです。

観客として

◎ 舞台の上で怖がっている(という演技をしている)人を見る。

◎ 舞台の空間に怖さを感じる。

あなたでしたら、どちらのほうがドキドキしそうですか?


けれど、これは演じ手も分かっていないことが、ままありますし、見る人にもその違いを全く気にしない人が多いことは確かです。

とは言いましても、前者がいけないというわけではありませんよ。
軽い感じでギミックな感じには、前者のほうがむしろいいと言えると思いませんか?

後者、つまりポーリッシュマイム的ですと、重くシリアスになってしまいますから、
いわゆる楽しい~!という感じにはなりませんものね。

大切なことは、どちらをやろうとしているのか?きちんと選択をして、その上で、その表現が出来ているか?なんです。

私が大道芸で赤鼻のクラウンをする場合は、基本的には前者の演技を選びます。
後者のポーリッシュマイム的演技では、お客さんは楽しめませんもの。
(以前、私はこのことに気が付いていなかった・・・あぁ~ぁ)

で、もし舞台で少しでもシリアスなマイムをしようと思うのでしたら、
一生懸命にシリアスな演技をしようとする前に
前者と後者のこの演技の違いというものがどこにあるのか?
きちんと認識しておいて損はないと思うんですよ。

空間を見せるということはポーリッシュマイムの生命線ともいえますから、
ポーリッシュマイムを学ぶ人はポーリッシュマイムを単に他のマイムとのテクニックの違い、身体遣いの違いだけに終わらせるのでしたら、
それはやはりその違いにしか過ぎません。そんなに、大層な違いではありませんね。
(本当は大層な違いなんですけど・・・)

演技力の有る無しで片付けてはいけません。演技術としてきちんと学べる類いのものです。
(演技術以前の心の問題は残ります。。。)
この演技術を学べているかどうかで、いわゆるマイムテクニックも違ってきますから、言い様によりましては、この演技術の習得の程度がマイムテクニックの程度を決めるということにもなるんです。

身体の動かし方だけがマイムではないということですね。

今回はちょっと難しいお話でしたけれど、学ぶ者には大切なお話。心しましょ~!
(私も心せねば・・・)