オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

頭でっかちってこと?

個人差はあるものの、女性は感情的で、男性は理性的というのは、大雑把なところでは、まぁそうだろうなと思うんです。

で、今回はこれを少し前にお話しました、文字情報のやり取り身体の音を通しての表現ということで考えてみますと、
人によって、文字情報に敏感な人と、身体の音に敏感な人といると思うんです。
両方に敏感な人もいますけれど、ここでは置いておきますね。

この異なるタイプの人同士で、もし口論にでもなったら大変ですね。
片方は口に出した言葉(意味)に焦点を当てているのに、もう一方はそこに込められている気持ちに焦点を当てますから、

「そういうことは、言っていない!」
「口ではそう言っているけれど、そうは思えない!」

「分かるように言ってくれ!」
「これ以上、何て言ったらいいの!どうして分からないの?」

といった具合になってしまいますものね。。。あぁ~。

大抵の場合、前者が男性で、後者が女性。
男性は文字情報には敏感だけれど、身体の音には鈍感。
女性はその逆。

世の女性の多くが芸術などに対して感性豊かに接し、男性の多くは理屈で接するということにも表れるのかもしれませんね。

女性は何かに接した時、気に入るか気に入らないかを、ぱっと判断し、
男性はどんなもの(こと、人)なのかを考える。
「生理的に受け付けない」という言葉は、
女性の口からは聞けども、男性の口から聞くことはほぼない。

と、あまり男性、女性と分けて考えるのは好きではありませんけれど、お話としは分かりやすいと思いますもので、嫌な気になられましたら、ごめんなさい。。。

ところで近頃は女性、男性ということではなく、全体的に(特に若い世代)文字情報派になっていってるような気がするんです。
みんながどんどん、身体の音に鈍感になっていっている。

(地域差もありそうです。)

おそらく、知識偏重の学校教育のあり方や、ご近所づきあいや商店などでの人とのコミュニケーションの減少、成果主義のようになんでも数値化で計ろうとしたり、曖昧さを許さない西洋的な白黒はっきりさせることに重きを置く社会のあり方などが影響しているのかなぁ?と。

文字を書かなくなったことも大きいかもしれませんね。文字にもその人の音が表れますでしょ?
書かない上に、手書きの文字を見る機会が少ない。

音がどんどん隠れていってしまっている。。。


まぁ、理由はともかく、身体の音は文字情報とは違い、
ダイレクトに相手の身体に伝わってしまいますね。
理屈抜き。
否応無しに感覚に訴えてしまうんですよね。

女性が一般に直感が鋭いといわれるのも、分かる気がしますね。
音に鈍感な男性の浮気がすぐばれるわけです。)

そうそう、以前紹介させていただきました、私の公演を同じものを2回観て下った方の感想で、
1回目は分からなかったけれど、2回目はとても楽しめたというもの、憶えていらっしゃいます?

これも、1回目はどうしても文字情報を拾い上げることに懸命になってしまっていたのが、
2回目はその理性が抑えられ、感覚が活かされたからだと思うんです。

音を聴くことができたわけですね。

たとえ同じ人でありましても、このように状況によって文字情報派か?音派か?変わってきますから面白いですよね。


身体の音のお話をした際、自分の発する音は全部認識できておらずとも、受け手は全て受けていると言いました。
どんなに音が隠されていく世の中でありましても、どんなに音に対して鈍くなっていっているといいましても、音は必ず私たちの身体を通っていると思うんです。

ただ、
その音をキャッチできるかどうか?

文字情報に駆逐され兼ねない、身体の音・・・
まずは自分の音を、ちょっと意識してみるのも楽しいかもしれませんね。