オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

自分を大切にって?

笑いという意味ではなく、心動かされたという意味で面白かったというものや感動したもの、ありますでしょ?

で、そのことを「これこれで・・こんなふうで・・凄かったんだよ。感動しちゃたぁ!」って言葉で表現できるのならば、それは
本当に心が動かされたのでしょうかねぇ???

う~ん、、、感動したと言えば感動したんでしょうけれど、それは心を海に例えますと、表面が波立っただけのような気がするんですよねぇ。。。

底の深いところは何も動いていない。相変わらず静か~に穏やかなまま。。。

心という海が小さな池のように浅いのでしたら、その表面のさざ波が、底まで動かす力を持つのでしょうけれど、どんな人も必ず、心という海は深いと思うんです。

それも自分では分からないほど、深いのだと。

その自分の心の海の深さを知らず、いえ、知ろうとすることなく、
表面のさざ波こそが全てだと思ってしまいますと、
深いところまで動かすような力がおよんだ時ですら、さざ波のひとつにしか感じなくなってしまいそうな・・・


さざ波を引き起した力については、簡単に言葉にできると思うんですけど、深いところを動かした力のことは、簡単には言葉にできないと思うんですよね。

何しろ、その力の正体がはっきりしないのですから。

目にしたもの、耳にしたもの、そのものの説明は出来るでしょうけれど、
その何が?
となりますと、難しいですよね。

まぁ、好き嫌いと同じかもしれませんね。

ピーマンが嫌いって、理由は挙げられるかもしれませんけれど、それはあくまで後付けに過ぎませんでしょ?
とにかくカラダが拒否したんです。
理由があって拒否したのではないんです。

理由が存在する前に、既に拒否していたんです。

これは絶対!ですね。

美味しいと思うものも、同じ。理由ではなく、とにかくカラダが喜んだ、ということです。

何故か?なんて自分には分かりませんね。

ただそれが、自分だということ。

とまぁ、好き嫌い程度でしたら、それが表面的なものなのか、それとも心底本当になのかは、人生に影響しませんでしょうけど、
心動かしたものが表面だけなのか?底なのか?は、人生にはとっても大事だと思うんです。

ですから、さざ波程度の感動を、まるで心の海の底まで動かされたように感動してしまいますと、それは
自分を見失うことになりかねないような・・・

自分を大切にしたいですね。