オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

音はどうしましょう?

作品の音楽のお話でしたね。

マイムの作品は言葉を使わないだけに、どんな曲を流すかは、とても重要な問題。

曲を全く使わず、全編無音のままという選択も無いとはいいませんけれど、それはかなり特殊な例という感じがします。

作品の長さにもよりますけれど、なにかしらの音があったほうが見やすいですものね。

そういえば、作品の長さ・・・ソロの作品といいますと皆さん、大抵8分くらいかな?という感じがしますね。
思い付いたアイデアをまとめあげるという作業をしますと、このくらいの時間になるような気がします。
作品の強度を保ちやすいですね。

ところが、10分を超える作品をつくろうとなりますと、あくまで私の感覚ですけれど、かなり違った作業になるようです。
構成自体を大きく変えませんと、ちょっとだらしなく長くなってしまう感じがするんですよね。

ですからそんな長さでありながら、作品の強度を保とうとするためには、
構成もさることながら、作品の持つ意味そのものをあらためてきちんと自分自身が掴み直す必要が出てくるんですよね。

と、ちょっとお話が脱線してしまいましたね。

さて、音をあまり使い過ぎるというのは考えものです。曲を聴かせるために演じているわけではありませんからね。
ただ、初心者のうちは音の力を借りて、とにかく全体のレベルをアップすることは大切ですね。

で、曲選びですけれど、大雑把に2つの考え方があるのかな?と思うんです。
ひとつは、素直に。もうひとつは、逆に。

素直にといいますのは、場面のイメージ通りの曲を使うということでして、
悲しいシーンでは悲しみを誘う曲にといった感じで、心情に沿った曲使いであったり、場面に合わせた効果音であったりといったところですね。

逆にといいますのは、まぁ、そう、要するに逆でして、演技そのものが持つイメージとは異なる曲を敢えて使うというもの。

ただ逆にの場合、これは作品として出来上がったものを観ますと、逆という印象は無いかもしれないんです。
むしろ、それが自然だったというように感じられるでしょうし、そうでなければ、その曲使いは失敗だったかな?と。

まぁ、どちらにしましても、使う曲やどの場面にどの程度の分量で使うか?さらに、どのタイミングでどんなふうに入れていくか?によって、作品全体の印象は全く変わってきてしまいます。

ここでもその作品を自分自身がどう捉えているか?が問われますし、きちんと捉えていたとしましても、その曲づかいが
本当に意図した結果をもたらしてくれるのかどうか?
観る人の心に届くのかどうか?


・・・いやぁ、、、難しい。。。

けれど、皆さん上手に使われていますよね。
どこでそんないい曲を見つけてくるんだろう?といつも思わされますし、「あぁ、そんな使い方があるのかぁ。」とすごく勉強になることもあります。

オリジナルで曲をつくる人はあまりいないでしょうから、皆さん、この世に溢れる膨大な数の曲の中から選んでくるわけで、これもある意味、出会いですね。

自分のつくった作品を活かしてくれる、いい出会いがありますと、本当に幸せです。
自分が最高に幸せになれた、そんな出会いを持った作品を観て下さる方に届けたいものですね。