オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

幻想

言葉ってどうやって覚えていくんでしょう?


赤ちゃんが徐々に言葉を獲得していって、そのうち子どもとなって大人と意思の疎通ができるようになっていくわけですけれど、どうしてそんなことが可能なんでしょう???



言葉に意味があるというのは、どうして分るんでしょうね?


言葉といいましても、単に音のはず。
それがたまたま声帯を通して、ある特定の音になっているにすぎませんでしょ?


その音の組み合わせが、何かある特定のことを差しているということなんでしょうけれど、
そういう意味では人間でなくとも、犬や猫でもある範囲内の音(人間の言葉)に反応出来るわけですから、意味が分かるということですよね。


もちろん、喋るとなりますと動物では人間と同じ声帯などの構造を持っていませんから、人間と同じようには喋ることはできませんけれど、その動物なりの音(声)で喋っているとは思うんです。


とはいえ、人間のいわゆる言葉を理解しているというのとは、ちょっと違う気もします。
(このあたりのことは、よく分りません・・・)



で、もともとの疑問ですけれど、私たちがある年齢のときに初めて聞いた言葉、例えば「アイデンティティ」。
この言葉って、意味分りました?


私はまるっきり分りませんでした。
学校の先生の説明も、なんだか要領を得ない感じで、「自己同一性」って一体何???


それが、いつの間にか、なんだか分っているような気がして、自ら「アイデンティティが云々かんぬん」と喋ってしまっています。


一体何が分ったんでしょうね?


単に慣れたというに過ぎないと思うんですけど。



別に「アイデンティティ」という外来語でなくとも、「愛」でも「石」でもなんでも、もしその意味を理解出来ないとしますと、それらの言葉は単に音に過ぎませんでしょ?


赤ちゃんにとって、「おかあさん」という言葉も、初めは「お乳をくれる目の前の人」と一対一の関係の音だったと思うんです。
(「人」というのもかなり、いい加減ですけど・・・この場合、顔のことを言っているのか?お乳そのものなのか?お乳を提供してくれる乳房のことなのか?などなど・・・)


やがて、お母さんの個人名(ゆう子さん、たえ子さんなど)と「おかあさん」という言葉の意味の違いまでも理解するようになり、さらには、自分のお母さんでなくとも一般的な「おかあさん」としてこの言葉を使いこなしていくわけで・・・
う~ん、、、不思議。。。


言葉は、たとえ具体的なことを差しているようなときですら、抽象的。


言葉(音)に意味があるというのは、単に思い込みのような気がしてきませんか?


何が分ったわけではなく、なんだかよく分らないけれど、分った気になっているに過ぎない。
それが人間同士で、何となく共通しているので、意思の疎通が出来ているような気がしているだけ・・・



そうなりますと、人間は言葉という幻想の中に生きているのでは?と思えてきません?


いま、コンピューターの中で仮想社会ゲームがあるようですけれど、いわゆる現実社会も言葉というものによって、本来分らないはずにもかかわらず、その不安を打ち消すように、分った気になって幻想を現実としているに過ぎない・・・




「はじめに言葉ありき」


でありますとか、


「言霊」


というのは、こういうことかもしれませんね。



私たちは言葉を使っているのではなく、


言葉に使われている。



つくづく不思議な、変な気分です。。。


どうやって言葉を獲得していったのか・・・?
獲得出来たのか・・・?