おおっ、シンクロニシティ~。
前回の『表現したいものがあるわけではなく・・・』のコメント欄でですね。
全く知らなかったものですから、そのまま検索しましたら、
あらあら、こんなグロテスクな日本画を・・・
怖過ぎる絵に、朝からびっくりしていたんですけど、
朝食をとりながら今朝の朝刊を眺めていましたら、
ありゃ~~~っ!!!
日本画家 松井冬子さん(37)「醜くとも現実 美は見つかる」
大きく紹介されているではありませんか~~~っ!!!
「現代社会は・・・見た目はきれいになったが、リアルさが失われ、本質が押し隠されてしまった。
しかし、一般的に美しいとされているもの、醜いとされているもの、
それらをひっくるめたすべてが現実の世界です。
その中から美を見いだし、美を創造するのが芸術です。」
「ただバラがきれい、では芸術ではない。普遍性を持ち得ない。そんなのはつまんない。」
「考えに考えてコンセプトを練り上げ、想像力を最大限駆使して、作品を構築していくんです。
パッションの赴くまま衝動に任せて描くような無責任なことは、私はしません。」
「作品を構築していくにはデッサン力などの技術が必要です。
ただ、技術だけに偏すると、上手に描けたね。で終ってしまい、芸術ではなくなる。
自分のパッションと技術がうまくかみ合わねばなりません。」
「きれいな花や美しい夕日はあるでしょうが、それはそのままでは芸術的な美ではない。
自分の想像力を駆使しない限り、芸術的な美は見いだせない、と私は思います。」
「美はモノそのものにあるのではなく、自らの想像力で発見するものです。」
(朝日新聞 2011.7.5 朝刊 「リレーおぴにおん」より抜粋)
私JIDAIは今回の『闇』のような、一見グロテスクな作品を、今後も続けていこうというような感じではありませんし(そうなるかもしれませんし、それは全く分りません。)、
実を言いますと、こんなにリアルにグロテスクなことをしていいのか?
という不安が全く無かったわけではないんです。
ですけれど、終ってみますと、想像を超えて老若男女関わらず多くの方に楽しんでいただけ(むしろ今までで一番良かったような感じすらあります)、
また、この松井冬子さんの絵が受け入れられているという現状を見ますと、
やはり人間は、きれいな心地よいものだけを見たり考えたりすることには、
嘘、無理があるのだなと感じますね。
とはいえ、直接自分の中の闇を見るには、強い抵抗を感じるでしょうから、
自分の外に闇を見ることは、心地よいのかもしれませんね。
ところで、マイムをする人の一人でも多くが、
「どこに美を見いだすかのパッション」と
「そのパッションを昇華させる技術」
このどちらかが欠けてもつまらない、
と思って作品をつくる人が増えるといいなと思います。
マイムから心と身体の平和を
オーガニックな(生きた)カラダに http://jidai.mond.jp/