マイムとは何なのか?
マイムには何が出来るのか?
マイムにしか出来ないことは何なのか?
マイムがしなければならないのは何なのか?
いつも、こういったことが私JIDAIの頭の中には、あります。
マイムを表現の手段として使うというのとは、違うのかもしれません。
マイムが目的なのかもしれません。
だからこそ、マイムとは何なのか?
という問いが、いつも頭から離れないのでしょう。
何故、人前でマイムをするのか?
ところで、私はマイムには”力”があると思っています。
マイムとは何なのか?と言っているのに、それのどこをもって「マイムには”力”がある」と言うのか?
と思われるかもしれませんけれど、何といいましょうか、「言葉には”力”がある」というのと同じような感じでしょうか。(このへんは、ちょっと置いておいて下さい。)
マイムは喋らないからマイムなのではなく、
言葉で語れない感覚を呼び覚ますために、言語体系に乗せないで物語を語るんです。
音楽や踊りのような音楽性のものとは、また違った、具体的に分ったような感じがしながら、掴もうとすると、するっと手からこぼれてしまうような、そんな感覚でしょうか。
まだ、よくは分りません。昔からこんなことを考えていたわけではありませんで、今はこんな風に考えている、ということなんです。
マイムがそういうものであるのか?それとも単に私だけがそうしようとしているのか?
まぁ、だからこそ、「マイムとは何なのか?」なんです。
私はマイムで何かを表現しようと思っているわけではありません。
マイムの”力”を具現化したいのです。
そのために、マイムで何かを表現する、という形をとっているのです。
それは、表現したいものがあって、言葉で伝えるというのではなく、言葉の”力”を具現化するために、言葉で表現する、といった感じでしょうか。
(おそらく絵画の歴史もそんな感じだと思いますけれど、それはまたどこかで。)
出来ているのかどうかはともかく、そうしたいと思っています。
それがいいのかどうかも分りませんけど、そうしたいと思っています。
マイムから心と身体の平和を
オーガニックな(生きた)カラダに http://jidai.mond.jp/