オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

キムヨナ選手と浅田真央選手、演技の違いと人気の理由の違い。

前回最後にちらっと触れました、フィギュアスケートのキムヨナ選手と浅田真央選手の演技のお話を。
(前回分を読まれていない方は、まずそちらからお願いしますね。でないと、なんだか変な話になってしまいますので。)


観客がイメージできるように演技をする「マイム演技」


自分がイメージして演技する「無言芝居」


キムヨナ選手はマイム演技で、浅田真央選手は無言芝居。

別の言い方をしますと、

キムヨナ選手は身体を遣った演技で、浅田真央選手は身体を動かしての演技。




これ、納得してもらえないかもしれませんけど、お話進めさせてもらいますね。

極端な話をしますと、


キムヨナ選手のような身体を遣ったマイム演技では、実際の演者の内面は関係ありませんで、
別のこと考えながらでも、観客には全くばれずに、いつもと同じ演技で魅了することが出来るんですね。
(もちろん、内面が充実しているに越したことはありませんし、その方がいいと思いますよ。)


一方、浅田真央選手のような身体を遣うのではなく動かすことで、自分のイメージを演技する無言芝居ですと、演者の内面の充実度に大きく左右されるんです。
パッションが足りませんと、へなちょこ演技になりかねない、ということですね。



では、マイム演技が必ずしもいいか?と言いますと、落とし穴もありまして、
身体の遣い方を習得できないうちは、演技しづらいと言いますか、内面を充実させづらいところがあるんです。
何しろ、身体を遣うことへ意識をほとんど取られてしまいますからね。
そうなりますと、なんだかキレイそうなだけで、ちっとも面白くない魅力の無い演技になってしまいます。(ある意味、嘘くさい演技になったりします。)


一方の無言芝居ですと、内面が充実さえしていれば、その気持ちは十分に観客に届きますから、
その熱意に心打たれたりします。一生懸命さがダイレクトに伝わるんですね。
個人的な魅力が生まれやすいんです。


ところで、
キムヨナ選手の人気の理由と、浅田真央選手の人気の理由は、違いますでしょ?


キムヨナ選手表現力に魅力を感じるからですよね?

浅田真央選手彼女自身の魅力という感じですよね?


これはやはり演技が、マイム演技か、無言芝居かというのは大きいと思うんですよね。



さて、バレエやフィギュアスケートのような身体表現系でしたら、やはりマイム演技の技術を磨いた方がいいと私は思っています。
マイム演技は個人の内面の問題ではありませんから、一旦は非個性的な演技になるかもしれませんけれど、身体の遣い方を自分のものにしていけるほどに、普遍性を帯びたその人の魅力が出てきます。
観客は一生懸命さに心打たれるのではなく、表現そのものに心が動かされるんです。


無言芝居の場合は、残念なことに内面が充実していたからといって、必ずしもいい演技になるとは限りません。
熱意が伝わるだけで、表現そのものを伝えることとは違うのではないかと思うんです。
そもそも、自分の経験を超えたものを表現することが、とっても難しい。
何しろ、自分の内面次第、パッション次第ですから。。。



浅田真央選手は元々、タラ・リピンスキー選手(長野五輪金メダリスト)に憧れていたそうですけれど、やはり演技ではないんですよね。演技は大変だと思います。

バレエのようにキレイに動くことが出来れば、妖精のようにはなれると思います。
実際、浅田選手は妖精のような雰囲気のものは、本当にぴったりで見入ってしまいますものね。私は大好きです。
けれど、それ以外のものは難しいと思います。


キレイに動く練習とイメージを演技しようとする練習との組み合わせでは、心と体がちぐはぐしてしまい、一体化してくれません。
スケートのための動きと演技のための動きが結びついてくれないと思います。

それに、演技の為に内面を充実させようとパッションばかりを上げてしまいますと、肝心のスケーティングやジャンプへの冷静な集中度が失われてしまいますでしょ?


それに対しまして、マイム演技のように身体を遣ったものは、非常に冷静でいやすいんです。
観客からはまるで表現だけに意識がいっているように見えますけれど、
演者自身は身体の遣い方に意識を強く持てているんです。
パッション任せではないんです。
そして、スケートのための動きと演技のための動きが一体化していってくれます。


浅田真央選手が、無言芝居から脱することを祈っています。


マイムから心と身体の平和を

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