オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

”使える”良い姿勢って?

良い姿勢が大事であることは、何をする際でも言えることですよね。


けれど、その良い姿勢というのが難しい。


そして(良い姿勢が出来るとしましても)その難しさにも、
良い姿勢をキープするのが難しいというのと、良い姿勢を意識すると動きづらくなってしまう(疲れる)、というのがあるのではないかと思います。



ただ2つともに共通して大きな問題があるように思います。


それは、良い姿勢というものが、まるで不変な姿勢であるかのように思われてしまうことなんです。


よくありますのが、例えばランニングの際などに良い姿勢をキープしようと、体幹を固めようとしてしまうことです。



結果として良い姿勢をキープしているかのようであることと、固めて動かないようにキープすることとでは、全く意味合いが違うのですが、
これは私自身もずっと悩みのタネだったものですから、私なりに気が付いたことをお伝えしたいと思います。
ピラティスなどの弊害に気を付けてほしいな、というのも、このあたりのことがあるんです。)




良い姿勢というのは、不変な姿勢ではない!!


一番大事な点であるにもかかわらず、ハウツー本ではまず触れられていませんし、
仮に触れようとしますと、かなりマニアックな内容になってしまい、
この姿勢のことだけで、本が1冊終ってしまうことになるでしょうから、
結局、多くの人が大きな問題をクリアすることなく、その先の各分野特有のテクニックの獲得にばかり目を向けることになってしまうんです。。。



そもそも良い姿勢って、どんな姿勢でしょうか?


身体を動かして何かをする以上、良い姿勢を何か1つの形として限定することに、現実問題として無理があるとは思いませんか?


先ほどのランニングの場合ですと、
「どことどこが一直線上にあって、云々カンヌン・・・」という形を壊さぬようにとなりますと
体幹をがっちり固めて腕と脚をしっかり振って・・・」ロボットのようになってしまいかねません。


そんなバカな・・・と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、多いんです。




とはいえ、やはり良い姿勢は重要。。。


となりますと、どんな姿勢を目指せば良いのか?ですけれど、私なりの答えとしましては、



無駄な力を使っていない・・・けれど強い、安定している



です。



姿勢という形は、この結果として現れるに過ぎないわけです。




ここで重要なのが、前回のお話に出ました、やはり骨の配列なんです。
(どことどこが一直線上というのと、骨の配列って同じじゃないの?・・・何だかややこしいですね。。。)



全身の骨が適切に配列されていませんと、そのアンバランスを補う為に筋力を使わざるを得なくなります。(逆に緩んでしまう筋肉もあります。)



この骨の配列を整える意識が弱いままで姿勢を整えようとしてしまいますと、やはり必要以上(あるいは以下)の筋力を使ってしまいます。
これは外見上の形を整えようとすることが大きな原因だと思うのですが、骨の位置感覚に基づきませんと、配列の誤差が大きくなってしまうのでしょう。


ですから、一見良い姿勢に見えてましても、それは外見だけで中身の伴っていない、
いわばハリボテの姿勢になってしまうんですね。
これでは使いものになりません。


しかも、

動いている間ずっと、全身の各骨が適切な配列に変化し続ける必要があります。



全体でバランスをとっているわけですから、
極端に言いますと、どこか一カ所の骨の位置が変わっただけで、
全身の骨の位置を変えなければいけないはず、ということなんです。



ということは、いっときとして同じ姿勢ではない、ということです。
外見上は変化が見られなかったとしましても、内部では動きが生じていなければいけない、
ということです。




もちろん、私もまだまだなレベルではありますけれど、
良い姿勢をキープしようという意識で動くのと、
良い姿勢は瞬間的なものだという意識で動くのとでは、
全く違ってくると思うんです。


その違いの一番大きな点は、瞬間的な対応力でしょうか。
このあたりのことは、また。






マイムから心と身体の平和を


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