オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

形で学べない、良い姿勢。

前回のお話の最後の


「良い姿勢をキープしようという意識で動くのと、良い姿勢は瞬間的なものだという意識で動くのとでは、全く違ってくると思うんです。
その違いの一番大きな点は、瞬間的な対応力でしょうか。」


ですけれど、どちらが対応力があるのかと言いますと、それはもちろん、
後者の”良い姿勢は瞬間的なものだという意識で動く”です。



”良い姿勢をキープしようという意識で”動いているということは、つまり身体の中で止まっているところが多数あるわけです。
止まっているものが動き出すには、それなりの労力と時間がかかりますでしょ?


車でも自転車でも、止まっているところからのスタートは大変ですよね?
多少なりとも動いていれば、そこからスピードを上げるのは比較的楽だと思いませんか?



後者の”良い姿勢は瞬間的なものだという意識で”動いているほうが、
瞬間的な反応が速くなるのは自然なことですよね。



そして、一応もうひとつ。
”良い姿勢をキープしようという意識で”動いている時は、多くの筋肉が力を出そうと収縮活動をしているということになります。


身体を動かすといいますのは、どこかの筋肉が収縮することですから(筋肉が自ら伸びることで身体を動かすということはありません)、筋肉は緩ませておくほうが収縮力を強く発揮できます。
(ただ、この件に関しましては、筋肉を緩ませて体を落下させる力を使うという方法もありますから、一概には言えませんが・・・)



まぁしかし、ごく簡シンプルに、「緊張(筋収縮)していると動きづらい」ということですね。



ところで、先ほど”止まっているところからのスタートは大変”とあったのに、それって緩ませておくのと違うの?緩ませておくって止まっているということじゃないの?
と思われるかもしれませんね。



確かに、その通りだと思います。
ただ単に緩ませておくのは止まっていることだと思いますから、動き出しは悪くなると思います。



ここが、一般的に誤解されている脱力とリラックスの違いだと思うのですが、
ただ緩ませておくのが脱力で、
緩んではいるけれど神経のスイッチは入っているという状態がリラックスでありまして、
動きに必要なのはリラックスだと考えています。


(『パントマイム de脱力パワー』という名称は、本当はリラックスのことですけれど、

リラックスという言葉はどことなく心理面についての言葉である印象が強いので、
肉体面を強調する意味で脱力という言葉にしています。今のところ・・・)




さて、本題に戻りまして、瞬間的な対応力に優れた”良い姿勢は瞬間的なものだという意識で動く”ですが、これは念のために申しておきますと、決して、良い姿勢は一瞬しかない、ということではありませんよ。
傍目には良い姿勢をキープしているんです。
ただ、キープしているかのようで、厳密には流動的なわけです。




一見同じような良い姿勢でありまして、


内部が流動的である姿勢を目指すのと、

どんどん体幹などを固めることで出来上がる姿勢を目指すのと、

どちらを選ぶのか?

だと思います。



(流動的だからといって、体幹が弱くていいということではありませんよ。むしろ強さは必要です。)





さて、流動的な方は、”これ”という形があるような、無いような・・・

そのため、教わる側は形を学べばいいというのではなくなりますから、
必然的に自分の身体との向き合い方が厳しくならざるを得ません。


ここを楽しめるかどうか?



自分の身体を探検し、可能性を見つけ出す悦び!!


人から言われて、自分の身体の形を、その人の言うように合わせるのではなく、


その人のいう形を、自分がこれだ!と感じられるところを探っていった結果として、その形になる。




良い姿勢を自分のものにする道のり、私は苦しみつつも、とっても楽しんでおります。







マイムから心と身体の平和を


オーガニックな(生きた)カラダに  http://jidai.mond.jp/