手品って「すごいなぁ、なんでそうなるの???」って思いません?
「どうして~???」って。
絶対に出来そうにありませんものね。
私なんて単純ですから、ただただ「魔法みたいだなぁ。」って見入ってしまうんですよね。
けれど、手品をやっている本人やネタを知っている人からしますと、
決して魔法なんかではなく、理屈通りにコトが進んでいるだけなんですよね。
何度やっても、同じことが出来るわけです。
でも、これって、
表現力(ここではほぼ演技力のこと)も同じなんじゃないかと思うんです。
表現力って何やら、生まれもった才能のような感じがしますし、
何を練習したら出来るようになるのか、
とても分りづらい。。。
けれど、手品のネタのようなもの、
つまり、やり方さえ分れば、
練習次第でかなりのレベルまで誰もが到達出来るものなんじゃないかな?と。
何で、こんなことを言うかといいますと、
私自身がもともと表現力とは縁遠いところにいて、
しかも人前で演技するなんて、恥ずかしくて恥ずかしくて、、、
という人間だったものですから、
表現力を身につける、高めるということに、悩みを抱えている人に思い入れがあるんです。
人前で演技する恥ずかしさって、どこにあるかといいますと、
自分がその気になっていないことを、
その気になっているかのように振る舞わなければいけない、
そのギャップにあるんだと思うんですね。
(厳密にいいますと、ギャップではなく、
その気になるために素の自分を掘り下げて、見られたくない部分を曝さなければならない。
つまり、隠しておきたい自分、恥部を見せることになるという意識だと思うんです。)
おかしくもないのに、笑ったり、悲しくもないのに泣いたり、、、
多少は出来ても(日常生活でやっていますしね。)、
あるレベル以上のことは、そうそう出来ませんよね。
でも、なんとかしなければならないとしたら・・・
先日、雪下岳彦@Yukitake99さんのツイート
「以前、われわれの研究室が行った実験でも、
口角を上げると自律神経バランスが副交感神経優位、
つまりリラックスの方向に変化しました。
作り笑顔で心理状態を変えることができます。」
を、『エモーショナル・ボディワーク』の説明に引用させていただいたのですけど、
身体を変えることで(このツイートでは顔、表情。)、
心に変化を与えられるんですよね。
気持ちを奮い立たせて、その気になろうとしなくても、
心の状態を変えられるということなんです。
これは、
「悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいのだ。」
という言葉を聞かれたことがあるかもしれませんけど、
感情というものは、ある種の身体の状態を、脳が心の状態として認知しているのだと、
私も思っているんですね。
(まぁ、「卵が先か?にわとりが先か?」といいましょうか、
心と身体はどちらも支配・被支配になる関係だとは思うんですけど・・・)
いずれにしましても、表現力というものを、
自分の内面を探って無理矢理引っ張り出そうというのではなく、
身体を変化させることで成り立たせる、高められるのではないか?
と考えるわけなんです。
で、いろいろと試行錯誤していく中で、
感情のスイッチを入れ、ボリュームの上げ下げが可能となる
『エモーショナル・ボディワーク』を創りまして、
私自身が実践するとともに、クラス生にも伝えているんです。
(おもに「自己整体真呼吸クラス」にて)
このワークの利点はいろいろあるんですけど、
例えば、自分の中に新しい感情を発見出来るということがあります。
また、しっかりと自分の感情を認識しながらも、冷静でいられる(切り替えが楽になる)
ということ、などなど。
これは表現(力)というものを、
素の自分を曝そうとするのではなく、
もっと普遍的な心理状態として出していこうとするものと、
いえるかもしれません。
ですから、この方法の好き嫌いはあるとは思うんですね。
けれど、やっぱり自分に無いものは出てこないんですよね。
このあたりのことをどう考えるかは、人それぞれですよね。
(楽器でも全くの初心者のうちから、自分らしく演奏するなんてことはなく、
よほどの天才でもない限り、合理的な練習を積んでいくようなものかな?と。)
とにもかくにも、
表現力というものが、
完全に個人に由来する、才能任せ、精神論的、非科学的なものではなく、
合理的に、ある意味、手品のネタのように練習の仕方があるもの、
ということは確かなんです。
表現力というものを、やたらと神秘化する必要はない。
私自身が苦手でしたから言えますけれど、それほど恐れる必要はない。
手品にネタはある。
少しでも、自由で幅広い表現を。
お役に立てることがあればと思います。
『エモーショナル・ボディワーク』をもう少し詳しくお知りになりたい方に
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Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!