オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

川の流れと演技~感情や感覚を手放す

「ピーターブルックの世界一受けたいお稽古」が公開されましたね。


演技のお話って、難しいんですよね。


少なくとも、私にとりましては。




それは、言葉に酔って欲しくないから。


分かった気になってもらいたくないから。


あるいは、何のことやらさっぱり分からないであろうから。


といいますか、抽象的な話としてしか捉えられかねないから。





演技に限らずなんでもそうですけれど、

出来ていないのに分かった気になって、出来た気になってしまうくらいならば、

出来ないほうがいいんじゃないかと、

私なんかは思うんですね。




生兵法はケガの元ということです。



特に演技といいますのは、

本人が気持ち良くなってしまいやすい。

上手に演技している充実感みたいなものを味わってしまいやすい。




あるいは、抽象的な話としてしか捉えられないのであれば、意味が無いわけです。

演技は実践です。

研究者や思想家になるわけではありません。




ですから、例えば、「ピーターブルックの世界一受けたいお稽古」を観ても、

表現者であるなら、その言葉に酔うのではなく、いかに実践できるか?

という具体的なことに落とし込みませんと、良い話を聞いたで終わってしまいますでしょ?






と、前置きはこれくらいにしまして、今回の本題に入りましょう。



演技で大事なこと、なんだと思います?



それは・・・



感情なり感覚なりに身を委ねること。




私はそう考えているんですね。




ここからは喩えを交えて・・・


川で泳ぐとしまして、その流れに沿って泳ぐのが一番無理のないことですよね?



川の流れというのは自分の外で起きていることですね。

その自分の外で起きている流れというものに、うまく身を委ねながら泳ぐとき、

自分はもちろん、はたから見ても自然な感じ

がします。




この川の流れ、自分の外で起きているものが、

演技の際の感情であったり感覚だったりだと思うんです。





もし、川の流れと無関係に一生懸命泳いで向こう岸に渡れたとしましょう。


きっと、本人は自分の頑張りに大きな満足感を覚えますよね?


けれど、はたからはどう見えているか?



頑張っているのはよく分かるけれど、無理しているなぁと思う。

そう思いますよね?

もちろん、向こう岸に渡り終えたとき、

よく頑張った!

感動した!

って言ってくれるでしょう。




どうですか?

演技の話に戻って考えたとき、

感情や感覚は自分の外ではなく、自分の中にあると思い込んでいますと、

この喩え話のように、川の流れとは無関係に自分の泳ぎだけに全力を注ぐ。

そんな感じだと思いませんか?





お客さんは、あなたの演技に対する頑張りに、心動かされるのであって、


あなたが演技で本来作り出すべき世界に、心動かされたのではない。


なんとなく実感できる人は多いと思います。





ところで、川の流れに沿う、身を委ねるとはいいましても、

流されるわけではなく、あくまで自分で泳ぐことは重要です。




泳げない人が川に飛び込んで、流れに身を任せて向こう岸に辿り着けるとは思えませんでしょ?

それはほぼ、”溺れている”という状態です(笑)




演技を考える上で、中には、

身を委ねるのが大事だと思うあまり、

自分で泳ぐことを良しとしないこともあるかもしれません。


自然体を目指しているのか、憑依型を目指しているのかは分かりませんけれど、

それは勘違いです。


あくまで自分で泳ぐ必要はあるんです。



自分が生まれ持った天才だというのでなければ、

泳ぎの練習をした上で、川の流れにうまく乗るということを、

学ぶにこしたことはないわけです。


川の流ればかり捉えようとしていましても、泳げなければ結局流されてしまいます。

溺れてしまいます。




少し前に「北島マヤになろうとしていませんか?」でお話したようなことですね。

泳ぎの練習をせずに激流に飛び込むことを良しとするようなことは、私はお勧めしません。


溺れながらも向こう岸に辿り着けたときには、

高揚感に溢れ、これこそ演技の醍醐味だ!

と思うかもしれませんけれど、

それは本人の気持ちが良いだけで、観客を冷静にさせてしまいます。




で、川の流れですけれど、これを捉えるというのは、

目に見える川でしたら分かりやすいですけれど、

演技の場合の感情や感覚といった、分かりづらいものをどうやって捉えたら良いのか?




これが、先日の『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』でもお話しましたように、

呼吸に秘密があるということで、”エモーショナル・ボディワーク”などを、

私は自分の訓練にもクラス生への稽古にも取り入れています。





さて、川の流れに喩えた感情や感覚を捉えるということ、

これは言い方によっては、

自分の感情や感覚を手放すということかもしれません。




手放すことで、つまり自力のみで泳ごうとせず、川の流れに上手く乗り…

それは感情や感覚の中にいる、あるいは包まれるといった状態になることで、

お客さんは頑張って上手に演技している姿を観るのではなく、

ただただその表現されている世界に取り込まれていく。



手放されているからこそ可能なのかもしれません。



自分でしっかり掴んでしまっていますと、自分の中に感情も感覚もとどまってしまいます。

観ているお客さんを巻き込めない。




川の流れと自分の泳ぎが一体化すればするほど、

つまり

手放した感情や感覚にうまく乗れれば乗れるほど、

はたからは自然なものに見える。





「川の流れはあなたであり、あなたは川の流れである。」

ように、




「その感情や感覚はあなたであり、あなたはその感情や感覚である。」

というわけです。





演技を頑張るのではなく、

世界を創りませんか?


世界の中にいられるようにしませんか?








Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!




マイムから心と身体の平和を


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