先日、日本舞踊の私の師匠の勉強会(お弟子さんの小さな発表会)のお手伝いに行ってまいりまして、
魅力的な踊りとそうでない踊りの違いを、はっきりと認識してきました。
私の先輩にあたるある方の踊りは、以前から素敵だなと思っていたのですけど、
何が他の先輩方と違うのかな?と思って、見ていましたら、
「ああ、やっぱり、それかぁ!」
と思ったんですね。
それは、身体の使い方といったようなことではありませんで、
受け身感覚があるか無いかだったんです。
日本舞踊といいますのは、演目(曲)にもよりますけれど、ほぼ一人芝居のようなものでして、
目の前に誰かがいるという設定があったりするんです。
もちろん、目の前に広がる景色を見るというようなこともするんです。
なんだか、マイムですよね。
そうしますと、
その実際には見えない誰かや、景色といったものが、
私たち観客の側でも見えてきて欲しいわけです。
私にとって素敵な踊りをされる先輩は、これを見せてくれるんですね。
もちろん、他の先輩方もそのことを意識して踊られているのは分かるんですよ。
けれど、見えてこないんです。
その違いは何によるのか?
それが、受け身感覚だと私は思ったわけです。
ただ、この受け身感覚というものが、どうも非常に分かりづらいようでして、
実は私もレッスンやこういった記事で、受け身感覚が重要なんだと伝えれば、
つまり、その考えに気がつければ、出来る出来ないはともかく、
理解は出来ると思っていたんですね。
けれど、どうもそうではないことが、分かってきました。
(今さら!?って思われてしまうかもしれません。。。)
なんとか、順序よく丁寧に説明をしていこうと思います。
まず最初に、肉体的な感覚として受け身を積極的に味わっているはずのシーンを紹介しますね。
ゴミ収集袋にいっぱい詰まったゴミを、ギュ−ッと押しつぶして小さくするとき、
これはとても分かりやすいシーンです。
空気が抜けていく感じや、中のゴミが圧縮されていく感じを、感じながら柔らかく、
それでいてしっかりと押し込んでいきますでしょ?
一方的に押し込んでも、うまくつぶれてくれませんよね?
このことを頭の片隅に置いて、この先を読んで下さい。
さて、表現といいましても、一方的に表現するのではなく、演技である場合のお話です。
一般的に何かを表現しようとする場合、
例えば、先ほどの実際には見えない目の前の誰かであったり、景色であったりはもちろん、
感情などの表現におきましても、
どうしても一生懸命に発信しようとしてしまうんですね。
表現しようとする内容の発信ばかりに、意識が行ってしまうんです。
ですから、
目の前に人がいるということを表そう、景色を見よう、感情を出そう・・・
といったことになる。
これに対しまして、受け身感覚を持つということがどういうことかと申しますと、
目の前に人がいるということを感じている、
景色を感じている、
感情を感じている・・・
となるんです。
例えば、表現の場ではなく日常生活の場で、何かを美しいものを見たとしましょう。
そのとき、
美しいものを見てるぞ!という感覚で見ていますか?
そんなことあり得ませんよね。
ただ、見たものを(目に映ったものを)美しいと感じているだけですよね。
自分でわざわざ、
「この見ているものを、美しくしてやるぞ〜!」
という気持ちで見るとしましたら、
それは魔術師です(笑)
私たち、この存在は常に受け身だと思うんです。
美しいと感じるかどうかも、感じてしまうんですね。
美しいと感じないようにするとか、汚いと感じようとするって、出来ないんです。
(美しいと感じてしまった後に、意図的にそういったことをしたとしましても、
既に美しいと感じてしまったことに変わりはありませんものね。)
自分が美しいと感じてしまうものを、自分ではどうにもできない。
それを美しいと感じてしまうのが、自分だということなんです。
(ですから、自分を知るには、自分が何をどう感じるのかを見ていけばいいわけです。)
そして、そもそも、「見る」という行為も、
「目に映り込んでいる」という受け身の状況に対する認識の仕方です。
自分というものは、受信したものの現れなんです。
こういったことであるにもかかわらず、
表現の場では、まるで自分というものがまず存在して、
その自分が発信するということを目指してしまう。
言うなれば、
宇宙の法則に反したことをしてしまうんです。
で、「感じる」ですけれど、これもちょっと危険がありまして、
ただ感じることばかりに意識が行ってしまいますと、単なる独りよがりになってしまいます。
表現の場では、あなたが感じている(受信している)ことは重要ですが、
何に対して感じているのかが、同じくらい重要になります。
(お芝居で「相手のセリフをよく聞きなさい。」と言われたりするのと一緒ですね。)
当たり前といえば当たり前ですけど、こういった一見、当たり前と思えることが、
簡単ではないんですね。
簡単ならば、演技指導なんて必要ありませんし、演技力に差は出ません。
この「何に対して」といいますのは、
相手がいたり、本当にモノがあったりしますと、
ある程度は楽に、あるいは誤摩化したりできますけれど、
マイム的な状況では難易度が数倍にも上がってしまう。
「何に対して」「何を感じているか」・・・この2つがセットになっているかどうか?です。
そして、何度も言いますけれど、「感じる」というのは、受け身なわけですから、
「感じようとする」のとは、全く異なることです。
ここ、とっても大事です。
感じようとするのではない!
と、「そんなこと言われたった、どうしたらいいの?」ですよね。
これこそが、アートマイム、オーガニックマイムで最も重要で前提となる、
ゾーンに入った(準備でも)状態になることなんですけど、
呼吸を媒体(きっかけ)として、自分の内と外が一体化した状態にもっていくことなんですね。
と、やはり、「そんなこと言われたった、どうしたらいいの?」ですよね。。。
レッスンに参加していただくのが一番なんですけど(笑)
そこで、思い出していただけますか?
ゴミ袋(笑)
一方的に押し込むか?
上手に感じながら押しつぶすか?
前者は、発信ばかりしている表現ですね。
後者の感じで表現できるといいなと思うんですけれど、
ゴミ袋をつぶす真似をマイム的に(エアーで)やってみて下さい。
その感覚は、通じるものがあるんですよ。
目の前に人がいるということを感じている、景色を感じている、感情を感じている・・・
ここに通じているんです。
あくまで出発点ですけれど、内面的な問題を身体的な問題に置き換えられますと、
分かりやすくありませんか?
受け身感覚を大事にして、見えてくるものがあるといいなと思います。
応援しています。
3月1日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!