パントマイムの練習、動きの練習ですね、をしていますと、
たいていは正解の曖昧さに戸惑うんですね。
何しろ、人を投げ飛ばすわけでもないですし、時速何キロのように計れるものでもないですし。
それに、きれいな動きかどうかというのも、かなり怪しいものです。
バレエのような形があるわけでもありませんし。
まぁ、この正解の曖昧さゆえに、誰もが気楽に出来るわけですけれど、
それだけに質を上げる意識を持たない人も多いですし、
上げようと思っても、どうしていいか分からなかったりするわけです。
ですから、ある程度の技術が身につきますと、
あとは作品づくり(一般的にはネタづくり)をするほかなくなってしまうんです。
これには功罪ありまして、けれど、それは今回のお話ではなく、もう少し進んだ段階でのお話を。
オーガニックマイム(JIDAIによるアートマイム)の場合は、
正解は自分で分かるようになっているので、動きの曖昧さは、あまり問題ではないのですけど、
レッスンの場では、
どうしても限られた条件・状況の中での動きになってしまいます。
それは、例えば、武術・格闘技系によくあります、
「相手がこうきたら、こう返す」という程度の練習に過ぎない感じです。
本当に実践の場では、同じような技であっても、タイミングや体勢などによって、
変えていかなければなりませんでしょ?
自分の身につけているものが、どの程度なのかを推し量るという意味で、
マイムでは作品をつくるということが重要な意味を持つんです。
(与えられたエチュード、作品の一部などを練習することも、
もちろん重要で、推し量れますけれど、自分でつくったもののほうが、
はるかに強い意味を持ちます。)
例えば、いわゆるマイムテクニックの「カベ」や「ロープ」でも、
その登場人物の心理状態などによって、当然、
見方、触れ方、扱い方など全てが変わってくるんですね。
これ、テクニックを身につけていれば、あとは登場人物になりきればいいんじゃないか、
と思われるかもしれませんけれど、
そんなことは全くありませんで、
よく起こることは、マイムテクニックが登場人物の心理状態からは浮いたテクニックになってしまう。
つまり、表そうとしている世界観と不似合いな唐突なテクニックになってしまい、
観る側からしますと興醒め。
あるいは、登場人物の心理状態に入るばかりで、テクニックにならず、
ジェスチャーを使った無言芝居になってしまう。
こういったことは、自分で作品をつくるようになると、よ〜く分かります。
そして、
さらに重要なことが自覚できるようになります。
ただ右から左へ移動する、といったようなことが、途端に難しくなる。
どうしたら見せられるものになるのか?何歩で移動するのが、適切なのか?
目線、腕の位置や動き、足の着地はつま先からか。踵からか?などなど、
普段の練習では、あまり気に留めない(留められない)ところが、いくらでも出てくるんですね。
もちろん、
全体の質が上がれば上がるほど、
登場人物の心理状態や作品の世界観が明確であればあるほど、
そういったディテールが重要になってきます。
簡単に言ってしまいますと、
動きの引き出しの少なさ…
それは動きのバリエーションというよりも、
内在する音の貧困さが露呈するわけです。
いつもここでお話しています、内在する音の重要性ですけれど、
自分がどれだけ音を大事にしているか?
豊かにしようとしているか?
が、自分の作品をつくって演じた時に、はっきり自覚できるんですね。
この自覚なくしては、オーガニックマイム、アートマイム、
つまりは身体表現、身体演技の質は決して上がりません。
ということで、「プロフェッショナルクラス」では作品をつくるということに、
向き合うようにしてもらっているんです。
もちろん、作品をつくることの他の意味合いもあるのですけど、
本当にマイムが出来るようになるには、
つまり、ジェスチャーを使った無言芝居でもなく、
マイムテクニックを取り入れた無言芝居でもなく、
生きた(オーガニックな)マイムとするには、
動きひとつひとつの具体的意味合いと、深く向き合う必要があるんです。
表情豊かな身体に。
3月1日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!