どんな訓練を積んでいくと身体表現・身体演技が上達するのか?
身体トレーニングを積むことに一生懸命になるか?
芝居的演技力を高めるか?
何言っているの?どちらもでしょ?
・・・ではないんです。
正直、こういった訓練は的を射ているとは思えません。
身体トレーニングを積んで、芝居的演技力を高めましても、それはあくまで2つの組み合わせ。
一体化したひとつのものではないんです。
ここは、なかなか分かりづらいところだとは思うんですけど、
楽器演奏などを考えると分かりやすいと思います。
先日のツイートの一部です。
「自分の中の音楽を鍵盤を通して奏でるのであって、
鍵盤を上手にリズムよく操作できることと音楽とは、ある意味別のこと。
けれど、鍵盤をどう叩くか押さえるかの訓練は欠かせない。
それは身体表現・演技でも、同じ。」
身体トレーニングといいますのは、基本的に運動なんですね。
どれだけ、きれいに動けても、凄い動きが出来ても、変わった動きが出来ても、
運動の組み合わせに過ぎません。
それが魅力的なものになるには、大切な要素があるんです。
芝居っ気です。
で、芝居的演技力ですけれど、これは、心の動きばかりで、
魅力的な身体の動作になってこないものです。
もちろん、その魅力的な動作といいますのは、決して単にきれいとがどうとかではありませんで、
心の動きがより鮮明に現れている動作かどうかということです。
(私の日本舞踊の師匠はよく、おっしゃっていました。「身体を使え。芝居でごまかすな。」と。)
さて、そうしますと、やはり芝居的演技力があって、身体トレーニングを積めばいいんじゃないか?
となりそうですよね?
けれど、もう一度よく読んでいただきたいのですが、
芝居的演技力に足りないのは、心の動きがより鮮明に現れる動作であって、運動ではないんです。
運動の組み合わせに芝居的演技力が加わったものは、一般的にはエンターテイメントの身体表現です。
その人自身の魅力、タレント性をアピールし、楽しむものです。
ここでいう、身体表現・身体演技はそうではありません。
ある意味、
その人が消えて、世界だけが立ち上がるようなものです。
自分を見せるのではない。
表すのではなく、現れるのです。
ここが、運動の組み合わせに芝居的演技力を加わえたものとの、
決定的な違いです。
このために必要なのが、心の動きが鮮明に全身に現れる動作が出来るかどうかなんです。
運動の訓練をどれだけ積んでも、それは叶いません。
芝居的演技力を高めようとしたほうが、まだ可能性はあると思いますけれど、
それでは単に演技力が高いだけになってしまい、身体表現・身体演技ではない。。。
身体表現・身体演技であるためには、美しさが絶対条件です。
「きれい」ではありません。美しさです。
美しさとは、
宇宙の真理を感じさせるもの。
崇高で無垢なもの。
我(エゴ)のないもの。
どうするか?
どんな練習を積んでいくと身体表現・身体演技が上達するのか?
それは、身体の質を変幻自在に操る力をつけることです。身体の質です。
これは、自分の中にどれだけ豊かな音を生み出せるか?ということになります。
音楽ではなく、音。
同じ柔らかさでも、「ふわふわっ」なのか、「ほわ〜」なのか・・・といったようなことを、
単なる頭の中でのイメージではなく、身体がその質(音)になっているかどうかを感じ取ることが重要になってきます。
このとき、身体の力を抜きづらい人は、非常に難しいでしょう。
逆に、力を込められない人は、「ぐん!」とか「ごん!」といった質を作り出せないでしょう。
こういったことは、思いを強く持つだけではどうにもなりません。
それに見合った身体トレーニングが必要です。
私の印象では、思いの強過ぎる人は、得てして自分の身体の声(音)を聞いていない人が多いように思います。
こういう人は、身体トレーニングをしても単なる運動にしてしまい、音を作れない。
あるいは、音を作れてると思ってしまう。音を客観視できないんですね。
といって、思いの足りない人も、やはり身体トレーニングが単なる運動になってしまい、音を作れない。
では、音ってどうやって作るのか?
一般的には、「呼吸で動きなさい」とか、「内面から動きなさい」となります。
もちろん、「内面から動きなさい」で出来たら苦労しないわけで、それは指導でもなんでもない。
では、「呼吸で動きなさい」はどうか?
悪くはないのですが、普通は”生存のための呼吸”しか出来ないので、たいした成果は望めません。
(”生存のための呼吸”に対して、”表現のための呼吸”というものがあるのですが、こちらを参照下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/mime_jidai/48022253.html)
といって、”表現のための呼吸”で動けるようになる訓練だけでは十分ではありません。
音を作るに大切なこと・・・簡単な言葉でいえば、
遊び心です。ごっこ遊びの心です。
そして、その遊び心とともに大事なことがあります。それは・・・
自分の中の善と悪を認めること。
神と狂気、愛と悪魔を認めること。
このことが、
全てを含んだ、あるいは全てを超越した静けさを持つことになると思います。
真の遊び心とは、この静けさを持った身体にこそ宿るものだと思います。
そして、このような遊び心に抵抗しない、純粋でしなやかな身体を作ることが、
身体トレーニングでは重要になります。
それには、自分の身体の部位の位置関係や動作速度といったものを、
正確に感じ取り、コントロール出来る力が欠かせません。
さらに、ここでいう身体といいますのは、頭という箇所も含めての身体です。
自分の頭を身体の一部として扱えるかどうかは重要でして、
頭(顔)から下だけで、いくら音を作ろうとしましても、それは全身ではない。
音を作ろうとしている、その意思が見えるだけで、音が純粋には立ち現れません。
自分が音そのものになる必要があるんです。
音を作ろうしている姿を見せるのではい。音になるのです。
最後に。
音を豊かにするために、実生活での経験を基に、そこから、
つまり自分の中から引き出そうとすることを、私はお勧めしません。
それは、我(エゴ)の音であり、また、たいていは大して豊かでもありません。
自分に固執するのではなく、宇宙に遍く存在する音を掴みにいくことを、
私はお勧めしています。
その具体的な方法が「エモーショナル・ボディワーク」です。
少し前に「ゾーンに入っていることが前提」というお話をしました。
これらは全てつながったお話です。
そして、こららは雲を掴むようなものではなく、具体的な訓練法があるんです。
誰にでも開かれています。
入り口に立ちさえすれば、進んで行けます。
違った口に立ってしまっていなければと思います。
3月1日 『声(音)を体に響かせる〜身体感覚を磨く』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!