『月刊秘伝』という武術系の雑誌での連載、「動きの解体新書」すでに4回目になりました。何を書いているのか?ひと言でいいますと、「身体の使い方を学ぶに当たっての
“理論と感性の融合”」になります。身体の使い方を学ぶ際、得てして、理論先行になりがちです。どこそこの筋肉がこっちの骨をこのように動かす…こことあっちは離れていても繋がっているからここを緩めるとあっちも緩む…治療家でしたら、明確に知っている必要があるかもしれません。けれど、一般的には、知っていることよりも動けることのほうが重要です。(知らなくていいということではありません。)知っていても、動けなけない人はいます。知っているだけで、本当は動けるようになりたいにもかかわらず、動けないのであれば、一体、何のために知る努力を重ねるのか?
ということですね。一方、全く知識はないけれど、素晴らしく動ける人もいます。運動神経が良いといわれる人です。動けない人は、当然のことながら、動ける人に教わります。ところが、動ける人は自分が動けている理屈を知りません。ですから、教えるといいましても、感覚的なことを伝えるばかり。あるいは、トレーニング法を伝えてはくれるものの、実は、おおもとの動き方が出来ていないと、
全く意味を成さない、かえって弊害が生じるようなものだったりするんですね。どうしてこうも、上手くいかないのか?それは…体の構造や動きの理論を知っているだけではつまり、部分をどれだけ知っても、
動けるようになりませんし、動ける人から教わっても、つまり、全体に起きていることを聞かされても、
動けるようにならない…ということなんです。部分を積み重ねても、ひとつながりの全体にはなりません。けれど、全体を掴むのは、容易ではありません。これは、表現力の分野でも同じことなんです。身体表現、演技におきましても、一つ一つの細かなことをきちんと知り、押さえておく必要はあるものの、全体の流れに乗っていませんと、観る人を魅了できません。けれど、全体の流れだけ見ていたのでは掴めないんですね。結局、運動的にも表現面でも全体からだけで、掴めてしまえる人が、センスがいい人として、残っていくわけです。
ずっとこの繰り返しです。それが、前回の記事でのお話につながってしまうんですね。本来、技術であるものを、技術ではないということで指導され、路頭に迷う。。。私は、そこを打破したいのです。理論の感性化。感性の理論化。今後、「動きの解体新書」では呼吸、ゾーン、音、声といった身体を本当に使えるようになるために必要でけれど、一般的にはほぼ触れられることの無かった技術について取り上げていきます。どうぞ、お楽しみに。