赤ちゃん。私たちはみんな赤ちゃんだった頃がありますね。
野生動物。野生動物と人間の赤ちゃん。身体的には同じ。
身体の作りは違うけれど、ただただ自然の法則に則って動きますよね。
ところが、今現時点での自分の動きはどうか?といえば、かなり不自然ではありませんか?
動物は大人になっても自然な動きであるのに、私たちは自然な動きではなくなっていく。
なぜなんでしょうね。
私は思うんです。
人間であるための「意識」というものが生まれるためだと。
それは、つまり
モノの見方・考え方のせい、ということ。
言い換えますと、エゴのせい、ということ。
動物はもちろん、私たちが赤ちゃんだった頃は、エゴがありませんね。
生きるための本能だけ。
動物はそのまま本能だけで、エゴが生まれることなく成長していきます。
一方、私たちは個人個人それぞれのモノの見方・考え方を持つようになりますね。
それは性格にも関わってきます。
ですから、幼稚園児ですら、パッと見た雰囲気で一人一人の個性が分かりますよね。
身体に、動作に現れているわけです。
人間になってきているということですね。
こうして大人になっていくわけですから、今の自分の身体の醸し出す雰囲気や動きは、モノの見方・考え方の影響によって何十年もかけて作り上げられてきたものということになりますよね。
もちろん身体にとって、スポーツをしている・していないといったことは関係がありますけれど、どんなスポーツをどんな風に取り組むか?が、結局その人のモノの見方・考え方の下に行なわれます。
元々赤ちゃんだった頃は野生動物と同じだったものが変わっていくのは、人間だから。野生動物には無くて人間にはあるもの、エゴ。つまりは全て、その人のモノの見方・考え方によるわけです。
身体、動きは、そのままエゴの現れなんです。
(これを逆方向に利用するのが、例えば、軍隊などの訓練ですね。動きを規律化することで個人性を消し、コマとして動けるようにしていく。軍隊としては極めて重要なことですね。)
では、大人になって身体の使い方を見直そうとなったとき、何が重要か?
もうお分かりかと思います。
今問題を抱えているその原因は、身体にあるのではありませんね。
整体などで身体を整えてもらっても、またすぐ戻ってしまうのは、習慣化された動き方が変わらないからではありますけれど、それはとりもなおさず、モノの見方・考え方が変わらないからです。
以前に書いたことがありすけれど、どんなに良い動きを体験・体感しても、それを良いものとして認識しないことには、ただ一度の体験で終わってしまうんですよね。
良いも悪いも、そういった価値はその人の中にあるのであって、外に絶対的なものとしてあるわけではない、ということでもありますね。個人的なものということですね。
ですから、良い(はずの)ものであっても、価値あるものとして受け止めなければ、そのまま流れすぎていくわけです。
ところで、あれ?と思われた方もいらっしゃると思います。
私は常日頃、身体から変わっていけると言っているのに、それとは話が真逆じゃない?と。
もちろん、身体から変わっていけるんですよ。
動き方を見直していく中で、一旦、エゴを脇に置いておくんです。いきなりモノの見方・考え方を変える必要はないんです。あくまで、一旦は全てを素直に受け入れるということですね。
動き方に重きを置くのか? それとも自分の今の身体(感覚)に重きを置くのか? ということです。
(この辺りのことは、拙著全てでお話をしていると思います。)
自分の今の身体(感覚)を一旦、横に置いておき、動き方に重きを置く。
これが出来ない場合は、当然、動きを変えていくのは極めて困難ですよね。今の延長線上にしかいられません。
それはつまり、エゴを強めていく、不自然さを強めていくということ。
エゴというとなんだか小難しい感じがしますけれど、エゴを脇に置いておくとは、繰り返しになりますけれど、動き方という自然の法則に目を向けることで、今の自分の身体(感覚)を一旦横においておくということです。
自分の身体の延長線上で考えるのではない。
自然の法則に基づいて考える。
そうしますと、自分の身体に何が必要か?何が不必要かが見えてきます。
自分の身体をこれまでは自然だと思っていたところが、不自然なんだと感じられるようになり、本当の自然な動きのために必要なものを理解できるようになります。
これを繰り返していきますと、エゴが薄くなります。あるいは、強いエゴを持っていても、一旦脇に置いておくことが出来るようになります。
この作業は、
大人として赤ちゃんの身体を取り戻す感じですね。
人間として野生動物を取り込む感じでもありますね。
私はこういった身体の自然さをオススメします。
【公演のお知らせ】
3月15日(金) 19時半開演(20時半終了)