モノを見るとき、
私たちは普段、
かなりの情報をシャットダウンしているんですよね。
よく見ているつもりでも
見落としているものがある
といったようなことではなく、です。
これは
というワークショップや
それに似たワークを受けた人が
発する、こんな言葉に現れるんです。
「脳から湯気が出る。。。」
・・・何言ってるの???
ですよね(笑)
これは、目から飛び込んで来る
情報量が多すぎて
脳がパニックを起こしている、
そんな感じを言っているんです。
一方で、
この見方をしますと
例えば、緑の木々の美しさに
これまでと違った輝きを感じます。
さらに面白いことに、
木の幹を見ていますと、
それこそ私たち人間のような生命を
感じてしまうんですね。
「ハリー・ポッター」の世界
を、地で行く感じなんです。
なんだか怪しいですよね(笑)
けれど、普段の見方に戻しますと、
いつも通りの木の幹です。
誰でも、そうなります。
この見方は、
目に入ってくる全ての情報を
分け隔てなく取り込んでいる
ということなのですが、
日常をこの見方で過ごすのは、
大変だということも
分かります。
いつも、脳から湯気が出ているようでは
困りますでしょ?(笑)
この見方ですと
例えば、
文字は読みづらくなります。
先ほどの、
ハリー・ポッターのような木の幹も、
下手に焦点を合わせますと、
途端に、普段の木の幹に戻ってしまうのですが、
そういうことなんです。
不必要な情報は、意識に上る前に
あらかじめカットしておきたいわけです。
電車内など騒音の中での会話、
機械の録音では
人の声は聞き取れないのに、
私たちの脳は、意識に上る前に
騒音をカットしてくれていて、
人の話し声が聞こえます。
同じシステムですね。
ですから、もちろん、といいますか
この見方をしていますと
聴覚も変わるんですね。
視覚と同様に、
普段はシャットダウンしている音が
聞こえてくるんです。
聴こえ方が変わる
といったほうがいいかもしれません。
いずれにしましても
意識に上る情報量が多過ぎるので
日常生活をこれで過ごすのは
あまり現実的ではないのですが、
この見方は、
舞台表現の場では必須
だと考えています。
※厳密には見方ではなく、
この感覚
もし、芝居の際、
自分がこの見方、
この感覚(ゾーン的と言っておきます)
に入っていますと、
入っていない人を相手にしたとき、
とてつもない断絶感
を覚えるはずです。
で、実は、
ここ何回かクラスに参加してくれている演劇畑の人が、
この見方のワーク後、
この話がツーカーで出来る人だったことが分かり
お互いにビックリ!でした(笑)
その人の場合は
芝居の時には自然にそうなっているようで、
その感覚を、
見方によっていつでもオンオフ出来ることに
ビックリしていたんです。
この感覚に入ってさえいれば十分ということではなく、
必要ということなんですけど、
慣れれば、脳から湯気が出るようなことはありません(笑)
何しろ、実際には
内側は静寂ですから。
普段、情報をシャットダウンしていることに
頭での理解ではなく
体感できますと、
また、ものの見方が広がるのではないでしょうか?