オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

綺麗なお辞儀とダンス

モダンダンスは私には馴染みのない世界ですけれど、
先日の公演の出演者4組の中に、お一人いらっしゃいまして、本番は見られないものですから、
ゲネプロ(本番とほぼ同じ状態でのリハーサル)を拝見させていただいたんです。



そうしたら・・・


おおっ・・・!!


その方の先生(大先生?)が見終わって、ひと言。



「全然、ダメ!」



「今のは最低よ!」



「振り(振付)を踊っちゃいけないって、言っているじゃない!」




ひと言じゃない?(笑)



まぁ、それはさておき、それを聞いて、私のほうがギュッて小さく固まってしまいました。。。



いや、しかし、振りを踊っちゃいけないというのは、もっともなことで、
これはダンスだけでなく、芝居でも、音楽でもいえることですよね。



そして、常に、しょっちゅう、必ず、いわれることですね。



先のモダンダンスの方は、
「すみません」
「次は今のような踊りはしません!」
と言っていましたけれど、




「これ以上、どうしたらいいの?」


と思うことも多いと思うんです。




けれど、大抵は、


「そんなこと、自分で考えなさい!」


ではないでしょうか?



いやぁ、辛いですよね?
考えてできることは、もうすでに一生懸命やっているわけですし、、、
もう少し具体的に言ってもらえたらなぁ。。と思うのは、自然だと思うんですよね。



どうですか?



私思うんです。
いつも思っているんですけど、やはりあらためて思うんです。思いを強くするんです。


それは・・・




ムーブメント(振付でも、単なる動きでも)はムーブメントで練習をして、

最終的に気持ちを載せて動くというのは、

練習方法として的を射ていないと思うんです。





振りが完全に身体に入っていないから、それができないんだという考えもあるかもしれませんが、
それもどうかな?と思うんですね。


ひとつの単純な動きにすら気持ちを載せることができないのに、
振り全体に気持ちを載せるなんて、不可能です。



そして、やはり根本的な問題として、
気持ちがムーブメントを引き起こすということの、理論的な方法を示す必要があると思うんですよ。



踊りの場合は、いわゆる演技とは違い、どうしても記号的なムーブメントになります。
それでも、気持ちを載せるというのは、どういうことかといえば、ひと言・・・




動きの質感。



振りを踊ってしまうというのは、言い換えますと、
動きの質感に変化がないということなんです。
ずっと似たような質感で動いているんです。


(リズムを重視することもあると思いますが、
人間的、生き物的ということで、私はまずは質感を重視します。)




音楽で喩えるなら、振りを踊るというのは、ただ楽譜通りに演奏することで、



気持ちを載せて演奏するというのは、

鍵盤のタッチを豊かにすること。





例えば、強い、柔らかいという中にも、さらに細かく細かく違いがありますよね?
タッチの豊かさは無限のはず。



ムーブメントも同じなんです。


そしてそのタッチ、つまり動きの質感が、表現しようとする内容とリンクする必要がある。


音楽も下手な人とプロの人とでは、最初の一音から全く違うはずですよね?



単に音が綺麗かどうかではない。



その世界に引き込む力があるかどうか?





ダンス、身体表現だって同じなんです。


最初の動き出しだけで、分かってしまうんです。


(実際のところ、身体表現は何もしていなくても、
立っているだけでも分かってしまうから恐いですよね。)




で、踊りにおいては立ち方をはじめ、あらゆるムーブメントで、
一般的には綺麗な姿勢、綺麗なムーブメントを練習します。


けれど実際には、立ち方ひとつとりましても、そこで表現すべき内容によって、
微妙に変わってきますでしょ?



それがどうしても、


「私は綺麗に立っています」


という姿になりがちなんですね。




最初の「ムーブメント(振付でも、単なる動きでも)はムーブメントで練習をして・・・云々」
につながるお話です。



綺麗に立つことを否定するわけではありませんよ。


そういうことを表面的に否定してしまいますと、
”独りよがりの”既成のものに捕われないという類いのものになってしまいます。





例えば、お辞儀。



「私は綺麗なお辞儀をしています」



というお辞儀を、見かけたことありませんか?
ショールームやイベント会場などで。



こういったお辞儀は、お客様のためといいつつ、自分自身の身体の方に意識が向いていることを、
何となくでも感じると思うんです。


ですから、本当にお辞儀をされたとは思わないわけです。




そして、お辞儀ひとつとりましても、
相手を向かえ込むお辞儀、謝罪のお辞儀、恐縮のお辞儀、ただ形だけのお辞儀・・・
いろいろあるわけです。




ですから、例えば、ムーブメント(綺麗なお辞儀)の練習を積んでいって、
これらお辞儀の違いを出す(気持ちを載せる)のは、自分次第というのでは、
それはレッスンではないと思うんです。


私からすると、不毛なレッスンで苦労している人は多いように思います。



モダンダンスの方のゲネをきっかけに、あらためて思った次第です。







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