オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

「伝える」は暴力?

表現の分野では、「伝える」という言葉がよく出てきます。


これらはとても抽象的なので、その人の生来のセンス次第になってしまいがち。


表現においては核であるのに、「センス」で片付けてしまわれがち。


一方で、こういったものは、漠然としたままのほうが、くみし易い面があるんですよね。



それは、例えば「他人に優しくしましょう」といったとき、
実際には、優しさとは何か?を考える必要があるでしょうし、
それを行動に移す際に身についていなければいけないこともあると思うんですけど、

何となく笑顔で接していればいいんじゃいか?
他人を助ければいいんじゃないか?
自分を犠牲にすればいいんじゃないか?

といったほうが、やりやすいのと同じですね。





世の中には「伝える技術」といった本が数多くあります。
それは取りも直さず、伝えることの難しさを物語っていると思うんですね。



漠然とさせたままでは、立ち行かない。



多くの人がプレゼンテーションや会話の場で、思いが強いだけでは、伝わらないということを感じて、どうしたら伝わるかを技術として学ぼうとしている。




表現の世界より、ある意味、シビアです。




こういう人たちは、伝えることの難しさを、何によって感じているかといえば、
「伝わらない」ことからですよね。




伝えることが難しいのではなく、

伝わらないことにもどかしさ

を感じているんです。




伝わらなければ、先に進めない。




ところが、

舞台での表現となりますと、何故か、伝わらないことにもどかしさを感じるのではなく、
伝えることの難しさに、目が向いてしまっている。



そんなことありませんか?



そんな違いを考えたことない、という方もいると思いますし、違いがよく分からない、
という方もいらっしゃると思うんです。



伝えることばかりに意識が向いてしまっているものを、私は暴力のように感じるんです。



一方的な押しつけ。。。



そういった表現に魅力を感じる人もいるでしょうけど、私は伝わることを大事にしたいと思うんです。





格闘技や武術などは、技なり何なりが相手に有効に働くことが重要なわけで、
自分が力を入れたかどうかは関係ありません。




自分の感じる強いパンチが必要なのではなく、

相手にとって強い(あるいは効く)パンチが大事。





伝えることの難しさを感じている場合、思いを強く持つこと、集中力を高めること、
といった自分自身のことにしか目が向きません。


他人がどう感じるか?どう見るか?といった視点が極めて弱いんです。



他人の存在無しに、伝えるという行為は存在しませんでしょ?




表現として「伝える」を考える際、


「何が伝わるか?」


に目を向けますと、

抽象度が下がり、具体的な方法について思いを巡らせることができるのではないでしょうか?



他人目線になるということですね。




伝えたいものが、伝わるわけではない。



伝わるものしか、伝えられない。




センス任せにせず、こういったところに目を向けてみてはいかがでしょうか?








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