体をどう動かすかを考えてはいけない!
気持ちで動け!
こんなようなことを耳にしたり言われたこと、ありませんか?
表現者の方は、どうですか?
これで、納得した上手い具合に、表現できていますでしょうか?
非常に難しいのではないかと思います。
気持ちで動けたという自身の充足感と、他者から見ての出来が異なることも、よくありますし。
ですから、私は「体が心をつくるので、気持ちで演技するのはおススメしない」
という立場をとっているわけです。
ところがですね、実は、これ、本当は上手くいくんです。
え〜〜〜っっっ!???
ですよね(笑)
常々、内面重視の問題点を挙げているにもかかわらず、なぜ今回に限って、逆の立場をとるのか?
それは、
この「気持ちで動く」というのは、ある人にとっては真実
だからなんです。
で、ある人にとっては真実というのが、
一般的な人でも、
ある状態になれますと、
真実として機能
してくれるんですね。
天賦の才のない一般的な人(私もです)も、
その”ある人”の状態になってしまっていれば、
”ある人”になれてしまうんです。
つまり、
ある種の状態では、だれでも気持ちを動かすだけでいいんです。
なんだか、狐につままれたような感じがするかもしれませんけれど、
私のところのクラス生でも何人もが体験できていまして、やはり、みんな一様に、
どうしてこんなに気持ちだけで、全身がいとも簡単に、これだ!という状態に変わってしまうのか?
この感覚・感情のリアリティーはなんなのか??
と、狐につままれたような感じになっていました(笑)
あなたもなってみたいと思いませんか?
出来たときのことを考えると、ワクワクしませんか?
これは特別なことである一方、特別なことではありませんで、
偶然、こんな状態になれることはあるんです。
あなたもなったことがあるかもしれません。
ただそれを、
偶然ではなく確実にという方法がある
というだけなんです。
そのことを理解していただけますと、
演技力・表現力を磨くに当たって、見当はずれなことをしないで済むのではないかと思い、
お話させていただきますね。
「体をどう動かすかを考えてはいけない」「気持ちで動け」といいますのは、
確かに気持ちの問題なのですが、ここで真に求められているのは、やはり体の変化なんですね。
目をふさぎ、耳をふさぎでは、どんなに優れた表現者の表現も、伝わってきませんでしょ?
当たり前ですよね。
目に映る体、耳に聞こえる声を通してしか、表現は届けられない。
ですから、
体に変化が起きなくては、気持ちの変化として捉えられないのです。
但し、ここでいう体の変化といいますのは、動きの変化ではない。
ここが、重要なポイントですね。
動きの変化ではなく、
質の変化
なんです。
では、体の質って何か?
ここをきちんと捉えられないから、つい体を動かしてしまう。
気持ちで動けと言われてしまう。
例えば、手に氷を持っているときと、お豆腐を持っているときとでは、体の質が違う。
そんな感じです。
難しいことではありませんでしょ?
実際に違うはずなんですから。
で、この手にしているものが、氷か?お豆腐か?
今、座ったままで構わないですから、実際には何も持たずに、やってみていただきたいのですが、
どうでしょう?上手くいきましたか?
考えてしまいますよね(笑)
こんなこと、体の動きを考えても上手くいきませんものね?
ただひたすらイメージするしかない・・・
・・・そう、確かに、イメージするしかない。気持ちの問題です。
ではありますが、
ここで、差がつくんです。
上手くいく人は、
手の平や指先など体の感覚が、実際に変化しているはずなんです。
上手くいかない人は、
そういった体の変化が全く生じない。
実際に触れていれば、自動的に体の質は変化するのですが、
イメージ・気持ちだけでその変化を導けるか?なんです。
そこで、私は気持ちではなく、
体の変化をつくることに意識を向けましょうということになるわけですが、
一部の天才的な表現者は、もっと複雑な、あるいは深い内容のもの、
そしてもちろん、内面的なものでも、イメージや気持ちの変化に伴って、
体の変化が自然に起きているんですね。
この「自然に起きている」というところに秘密がある!
いくら自然に起きるといいましても、
起きたことに対して無自覚ではないはずです。
ただ、当人たちは、その体の変化を体を意識して起こすのではなく、
気持ちによって起きていると思っているのだと思います。
こう言えるのは、私も、さんざん体からと言っておきながら、あれですけれど、
実は、ある体の状態になっていますと、体のことを考えずにいましても、
気持ちの変化に伴って、自然と体が変わるということを、知っていて、使っているからなんです。
つまり、
自然に起きてしまう人というのは、ある体の状態というものを
無意識に作り出してしまっている。
天才的な人は、ほぼ日常からしてその状態なんです。
それが、いわゆるオーラにつながるのでしょう。
けれど、その状態は
意識的に作り出せるんです。
もちろん、稽古は必要ですし、その状態をどれだけキープ出来るかといのも、訓練です。
私のクラスでは、
主に「プロフェッショナルクラス」や「自己整体真呼吸&アクトクラス」で扱います。
さて、この体の状態を作る訓練無しに、気持ちで動くということを繰り返してしまいますと、
そのうち、気持ちの充足感を満たすことを求めてしまい、
ますます大事なものが逃げていってしまいます。
熱演だったとか、気持ちが伝わってきた、なんて言われてしまいます。
ですから、やはり、気持ちで動くというのは、一般的な人にとっては毒になると、私は思うのです。
体をどう動かすかを考えるのではなく、
気持ちで動いたときの体の変化、体の質の変化に気づけるようになればと思います。
4月17日 『動作塾』(4月のテーマ「走り」)
4月17日 『原始歩き同好会
Body,Mind&Spirit
本当の自分の身体は天才だ!