オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

人って、いつから人なんでしょう?

人って、いつから人なんでしょうね?
受精卵は人ではないんでしょうか?法的には人ではないのかもしれませんけど、その受精卵は人にしかならないわけで、決してイルカになったり、たぬきになったりはしないんですから、人の素(味の素とは違いますよ)であることに、間違いはありませんよね。

ところで、素といいましても、価値が下がるわけではないですよね?
人の素だから、人より重要ではないなんてこと、あるのかしら?
素っていう言葉でなく、源という言い方をしますと、なんだか逆に価値が高くなる気がしますし。

人としての意識があるかどうかが、人であるかどうかの分かれ目だとしますと、一体、何を意識できれば人なんでしょうか?
胎児の問題だけではなく、脳など何らかの障害(年老いていくことも含めて)のために、いわゆる一般的な人とは違う意識を持っている場合は、どうなるんでしょう?
しかも、その意識というのは、どうやって測るんでしょうか?測りようがあるんでしょうか?

最初の受精卵に戻りますけど、受精前の卵子精子は、やっぱり人の素だと思うんですけど、そうしますと、その人の素を作り出している卵巣や精巣は、何になるんでしょう?人の素?・・・なんでしょう。
さらに、その卵巣や精巣を作るといいますか、機能させるための様々な器官や何やらも、やはり人の素ということになるんだと思うんです。

こう考えていきますと、当然の結果としまして、今こんなことを考えている私は、自分で自分を人だと疑いもしなかった私は、人なんでしょうか?それとも人の素なんでしょうか?という、何だかとんでもない質問を、投げかけられてしまうわけです。う~ん・・・

と、物質的にはこういう袋小路にはまったような、不思議な世界になってしまいますけど、意識面ではどうなんでしょう?

私は私を血液や肺胞や大腸菌だとかって、思っているわけでもなければ、それらの意識を代弁しているとも、思っていないわけで、あくまでトータルといいますか、漠然といいますか、まあ、私は私だと。
きっと誰もがこんな風に、自分のことを捉えているんだと思うんですけど、こんな意識がいつ芽生えたかは、はっきりしませんし、そう、そもそもどんな意識があれば人といえるのかも、分からないんですしね。

人の素には、いわゆる意識は無さそうですけど、人でありながら、人の素である私には、意識がある。
えっ!?ちょっと待って下さいよ。
人の素である私に意識があるのでしたら、もっと小さな人の素たちにも、意識はあるんじゃないかしら?
で、その意識は人のそれと同じでないと、困ると思うんですよね。違うとしたら、その集合体である私が、なぜ急に人の意識を持ってしまうんでしょう?あらら・・・大変なことになってしまいましたよ~ぉ。

ん~~~んむ・・・こんな大変なことに、簡単に答を出してしまい、人に安心感という、思考のストップをさせるために、人は神を生み出したんでしょうね。
お腹にいる、ある時点で魂が降りてきて、意識が生まれ、私は私で、体は借り物。
もう悩まなくて済むんですね。あぁ、ありがたや、ありがたや。