オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

いじめは当たり前!?

最近また、いじめが大きな問題になっていますね。
いじめる側の人間は、人の痛みが分からないからだって、よくいいますけど、それが大きな原因なんでしょうか?
それと、いじめをする人のことを、ひどい人間だと思う人が多いのは、どういうことなんでしょうか?

人の痛みが分からない人間は、いじめなんて、しないはずですよ。だって、面白くないじゃないですか。痛みと感じてもらえるからこそ、いじめるんじゃありません?
だから、手応えを感じないと、どんどんいじめがエスカレートする。当然です。

いじめをする人を、まるで他人事のようにひどい人間だなんて思っているのは、自分を何か勘違いしているか、自分に対して目を閉ざしているとしか思えません。

どういうことか?そもそも、いじめが何故あるのか?
私が思いますに、根本の原因は、人間が誰でも持っている、「自分の存在を認めてもらいたい」というところ。これが「自分に優越感を感じたい」という思いと結びつきやすいために、いじめが起る。

「自分の存在を認めてもらいたい」という思いは、良し悪しの問題ではなく、この世に生まれて、生きていく上での本能。この本能無くしては、生きて行けないはずです。(認めてもらえているかどうかは別ですよ)
自分の存在に本当に価値が無いと認めたら、生ではなく死を選ぶはずですし、それが、価値を認めないということですから。
だいたい、自分に自信の無い人というのは、認めてもらえていないと感じるから、自信を持てない。(私もそういう人間のひとりですけど・・・あららぁ。)
人はどうしたって、自分の存在価値を感じたいんです。

その自分の価値を感じる、最も簡単で手早い方法が、他人との比較。他人より優れていると感じること。もしくは、他人の否定。
自分より劣っていると思う人間を、より落としめることで、自分の存在価値を高めようとする。
自分より優秀な人間の存在を否定することで、自分の存在価値を保とうとする。
いじめにしましても、差別問題、戦争にしましても、結局はここのところじゃないんでしょうか?

いじめる側の人間、他を攻撃する人間・国が、自分の存在価値をどんなにか脆いものとして、感じているか、そのことの理解なくして、ただ、目に見える酷い行為を止めようとしましても、それは何の解決にもならないはずです。
形を変えて、同じことが続くだけです。(だから、どんどん陰湿化する。当然です。)

教育基本法の改正だとか、憲法の改正だとか、そういったことは、このこと、つまり「自分の存在価値を、どうしたら他人を否定すること無く感じられるか。」ということを、真剣に考えて、その方法を確立してからの問題だと思うんですけどねえ。
まあ、どういう方法があるのかは分かりませんけど、基本的には幼少期の周囲の大人からの、人格の肯定に鍵がある気がします。(は~ぁ・・・人格に半ば破綻をきたしている私は、どうしたらいいのやら・・・)