オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

悪事VS正論

命を奪うような人間の争いは、身近ないじめ、虐待から戦争にいたるまで、止むことはありませんけど、これらの問題に対して、巷で取り上げられる意見は、なぜ正論ばかりなんでしょうねえ?

正論で悪事が無くなるとでも思っているのでしょうか???
悪事を働く人間は、自身の考えを正論だと思っている、ということが分からないのでしょうか?いつだって人は、自分が「よい」と思うことをしているはずなんですけど・・・その「よい」が間違っているだけなんですけどねえ。

悪事は酷い人間が行なうものと、思われていますけど、ある意味、もっとも人間らしいからこそ行なうのだと、なぜ分からないのでしょうか?
動物は悪事なんて働きませんよ。人間社会にいろいろなルールがあるのは、人間は悪事を働くものだ、という前提があるからじゃありません?

いじめのお話の時にも言いましたけど、人は誰もが皆、自分の存在価値を感じたい、認めてもらいたい。全てはここから発しているのだと思うんです。それが他を否定する行為になっていく。

悪事を働く人間を否定しても、始まりませんし、その否定がさらに悪事を生み出させてしまう。正論を言えば言うほど、より凶悪になる。
「間違っている!考えを改めろ!」って言われれば言われるほど、「お前が間違っている!改めるのはそっちだ!」って、当然ですよね。
正論は別の正論を否定する行為。正論で悪事に挑むことは、相手の命は奪わずとも、精神・心を奪っていると、気が付く必要があるのでは?

と、まるで私がその正論を言っているようですか?

でも、表面に現れる具体的な行為、ひとつひとつに対して、良い悪いをいっても、始まらないということははっきりしている訳で、それを生み出す心、生きていく上で絶対に必要な、「自分の存在を感じたい」という、本来、良い悪いとは関係の無い、この心に焦点を当てるしかないと思うんですけど。
そうすれば、「そんな悪事は信じられない」って言っている人も、そんな悪事を自分がしてしまう可能性を秘めている、ということに気が付きますしね。

そう、もちろん私だって、「そんな悪事をしない」とは言い切れない、まあ、なんと情けないことか・・・世の中、正義が多くて、私には居場所がありません。あぁ・・・