先日、久し振りのクラス生が参加してくれました。
彼が学生のころは毎週熱心に通ってきてくれていて、社会人になってからは、
そうですねぇ、、相当なマイペースで参加という感じ(笑)
まぁ、彼は「原始歩き同好会」には毎回来てくれているので、
いわゆる普段のクラスへの久し振りの参加ということなんですけど、
身体の使い方に対してかなり意識的に探求しているようで、
そういう人とのレッスンは楽しいものです。
で、レッスン後の帰り道で聞かれたんです。
「今日の記事の「知っていれば良い」って、どういうことですか?」
と。
だいぶ話をして、ようやく腑に落ちるような感触を得てもらえたのですが、
前回の『「知っていれば良い」という考え方』が、
かなり届かない話だったのだなぁというのは、よ~く分かりました(笑)
届かないと言いますのが、伝え方が悪いのか?
それとも、その人にとって経験したことの無い話だから伝わりようがないのか?
ここは微妙な問題ではあるんですよね。
「意識する」と「知っている」という言葉の違いは重要なんです。
あまりこの言葉の違いを解釈しますと、言葉の持つ力が失われてしまいますので、
気が進まないのですけど・・・
意識するというのは、能動的な行為。
知っているというのは、受け身。
意識するというのは、頭が働きやすい。
知っているというのは、身体が働きやすい。
知っているというのは、感じるということにもつながります。
前回のソフトクリームを持つ手ですけど、普通は持とうと意識しているわけではないんですね。
手がソフトクリームの固さや重さを感じて、持ち方を自動的に調整しているんです。
ですから、持とうとする意識の強い人は、必要以上に強い力で持ってしまうんです。
ビールのコップでも箸やフォークでも、リモコンでも何でもです。
それは、手にしている物体からの情報を受け取っていないから。
一方的に自分の身体(手)を動かしているだけなんです。
これ、例えば、マッサージしてもらったことのある人でしたら、分かると思うんです。
いいなぁというマッサージ師は、
こちらの身体からの情報を受け取って(感じて)それに合わせた圧だったり、リズムでしてくれているんですね。
そうでない、極端に言えば不快なマッサージをする人というのは、
まぁ、自分勝手にやってるわけです。相手が誰であろうと同じなんです。
このような感じで、「意識する」という行為は一方通行になりやすいということなんです。
巷でよく言われる
「お腹に力をいれなさい」なども、
本当に良くない言葉です。
これは、良い状態の時には「お腹に力がある」だけであって、
お腹に力を入れようと意識してしまいますと、
お腹に力がある状態とは違ったものになってしまうんです。
この手の言葉はほぼ間違いなく、良い状態を意識的に感じてみた時のことを言っているんですね。
決して意識的に行なうものではないんです。
(ただ、身体に対する感覚が上がってきますと、意識的に出来るようになるんですね。
そこに、また誤解のタネが・・・)
いずれにしましても、「意識する」というのは一方通行で、
返ってくる情報を受け取らないようにしてしまいやすい。
それに対しまして「知っている」というのは、
返ってくる情報を受け取れている状態で、
それは頭でどの程度意識出来ているかどうかよりも、
身体の感覚の問題。
赤ちゃんに近い子どもは、
手にしているものをギュ~っと凄い力で握りしめますけれど、
他に気を取られた瞬間落っことしてしまいます。
それは、まさに、身体の感覚が育っていないから。
手にしている物からの情報を受け取れない。
「知っている」状態が無いので、他に意識が向いたとき前回のお話に出てきた
「忘れてしまう」状態になりやすいんです。
別の例ですと、歩き方を意識したらナンバになったという経験は多くの人がされていると思います。
けれど、普段は普通に歩けますでしょ?
頭では、歩くという行為にそれほど意識的でないと思いますけれど、
ちょっとした路面の変化にも当たり前のように対応して歩いているんですよね。
それも友達と話しながらでも、ソフトクリーム持ってでも(笑)
それは、歩いていることを「知っている」から可能なんです。
ですから、あまりに友達との話に夢中になってきますと、
だんだん歩いていることを忘れてしまい、歩きが遅くなり、そのうち立ち止まってしまいます。
(年配の方にはよく見られる光景ですね。)
「意識する」と「知っている」の違い、伝わりましたでしょうか?
世にある、繊細なボディワーク系は概ね、
この「知っている」状態を導き出そうとしているように思います。
アレクサンダーテクニークの頭と脊椎の関係を手を添えて導くのは、まさにこれ。
それを受け手は1人になった時に意識してしまうから上手くいかなくなるんです。
(と、私は解釈しています。)
間違って欲しくないのですが、身体の使い方を良くしていく上で、
「知っている」は、決して意識しないのではありません。
ほっておけば良いというのでもありません。
身体は同時にいろいろなことを意識は出来ません。
意識すればするほど、ぎこちなくなります。
けれど、ほっておいたのでは、良くなりません。
意識するのではなく、知っているという状態。
意識するというほどではない、意識。
それは、頭を休ませて、身体感覚に目覚めてもらう言葉。
「知っている」
こちらも参考にしていただければと思います。
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Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!