オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

毎日基本を繰り返すって、いいこと?

基本を繰り返し行うことは、とても大事なこと・・・でしょうか?


これはとても危うい稽古だと思うんですよ。


回数をこなしますと、当然その動きは身体に染み込み、その人にとって自然な動きになるんでしょうけど、
もしかしたら、その動きの周辺にある動きを全て失っているかもしれない。そう思うんです。


そして、数をこなすことが質を上げることだと思うことも危険ではないでしょうか?

私たちは毎日何千歩と歩き、何十年も生きてきていますけれど、歩きの質はどれほどのものでしょうか?
箸で食事をして何十年、箸遣いの質はどうでしょう?

1年前と比べて上達しています?
10年前と変わらないと思いません?


長く生きていれば人格者になれる・・・わけではないというのと同じようで・・・あぁ~~~~


素振りをしたり、投げたり、走ったり・・・ある程度までは回数がものをいうでしょうけれど、
動きの質があるところで固まってしまいますと、そこから先は量のための練習であって、質とは別のこととなってしまいます。


これは、例えば、何か形ある運動を
「1日に何回くらいやればいいですか?」
というものも、同じことだと思うんです。


量にしか目が向かないというのは、感覚を閉ざす行為です。

毎日の日課として必ず量をこなす、あるいは頑張って耐えて行う
・・・もちろん、これら全てを否定するものではありませんけれど、
感覚を閉ざす行為の先には、ケガや故障が待っていることは否めないと思いますし、
上達にどれほど役に立つのか?だと思うんです。


そして、先ほど「その動きの周辺にある動きを全て失っているかもしれない。」と言いましたけれど、
単に量的な練習として同じ形を繰り返していますと、その形はとても上手になりますけれど、
それとちょっと違っただけのものですら、また1から練習が必要になったりします。

(ここでは、「上達に役に立つのか?」というのは質の変換のことで、「上手になる」というのは単にスムーズになるといった感じのことだと思っていただけますか?)


とまぁ、偉そうなことを言っておりますけれど、
私自身、20数年前にマイムを始めて、ある程度の技術が身についた後は何を練習したらよいのか分らず、
といって練習はしたいものですから、ただ出来ることを毎日繰り返しやっていました。。。


正直、それによって上手くなったとは思えません。
”毎日練習しているんだ”ということが大事であって、その状態に甘えていたんでしょうね。
ですから、単にその動きに慣れたということに過ぎなかったのだと思うんです。

いえ、むしろ好ましくない癖のようなものが、固まってしまっていたのかもしれません。


・・・自分の動きの質に目が向いていない量的な練習は、
悪い動きを身につける練習でもあるわけです。
怖いと思いませんか?


そうやって好ましくない動きのための筋力がついてしまいますと、あとで動きの質に目が向くようになった時に、大変な苦労を強いられるんです。

どうしたって、その筋肉を使う神経が働いてしまうんですね。

これはそうそうおさまるものではありません。
何しろ力というものは入れる(神経が働く)ほうが、抜く(神経に休んでもらう)ことよりはるかに簡単ですから。



基本が大事だからといって、一生懸命繰り返し練習するのも、させるのも気を付けたいですね。





マイムから心と身体の平和を  http://www.geocities.jp/mime_jidai/

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