オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

エゴをなくして、宇宙に。

自分がこの宇宙より大きいと感じる。いや、自分の外に宇宙があるわけではなく、自分が宇宙であると感じる。
一方で、それを感じている、外から見ている、もうひとりの自分がいる。


私のマイムは、このことを観念的にではなく、あくまで体感していくのです。

海の表面は、穏やかな時もあれば、荒れた波の高い時もありますが、海の深~い深~いところでは、いつでも同じように静かです。けれど、いろいろと変化する表面のことを、知らない(感じない)わけではありません。分かってはいる(感じてはいる)けれど、深いのでほとんど影響を受けず、穏やか。

私のマイムは、こんな海のように、表面に様々な表情を作りつつ、どこまでも深~~くにいて、穏やか~にその表情を見て楽しむことをしているのです。

そして宇宙を感じ、深い海でいるには、人に見せようという意識は、役に立たないどころか、邪魔になります。何故なら、そこにエゴが生まれるから。
エゴは簡単に見抜かれてしまいます。何をどう表現しようとも、エゴしか現れてきません。

自分を見せるのではなく、自分を通して見せる。
自分を見てもらう必要はないんです。


たとえば夜空に輝く星を見るのに、望遠鏡を使いますが、自分はその望遠鏡です。
星が良く見えるように、大きく性能のいいことは重要ですが、どこまでいきましても、しょせん道具に過ぎません。望遠鏡自体をいくら見ていても、星は見えません。星を見てなんぼです。

自分(たとえば望遠鏡)は重要なんでしょうか?それとも重要ではないんでしょうか?
そう、自分(望遠鏡)は目的ではありません。けれど、自分(望遠鏡)が無ければ見えないものがあるんです。そして、精度が高ければ高いほど、見えるものの質が上がる。

しかも、私たちは物ではなく、意識をもった人間なので、望遠鏡自身が星を見てしまうような、自分で自分を通して、星を見ることができてしまう。
つまり、自分は望遠鏡を覗く人であると同時に、望遠鏡であり、さらに見ている星(宇宙)も自分である。何しろ、自分自身が宇宙なんですから。
って、分かります?伝わっているといいんですけど・・・

と、マイムを通して、この世界の真理を体感することは、悪いことではないと思うんですけど、どうですか?