オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

自分を知るためのパントマイム

パントマイムといいますと、どうしても特殊な表現と見られますけど、私がいつも話していますマイムは、表現以前のことが大事でして、何をどう表現するかは、人それぞれ、好きにすればいいことですから、問題ではありません。
JIDAIのマイムの最も重要なことは、実際の動き(肉体でも感情でも)の拡大認識・拡大再生を通じて、「外なる宇宙」と「内なる宇宙」の連続性を感じ、「真理」を体感することにあるんです。

って、よく分かりませんよね。それに、なんだか宗教みたいですか?
まあ、まずは拡大認識・拡大再生のことを、肉体の動きについてから、お話しますね。

たとえばボール投げ。よく本やら何やらで、ピッチングフォームの解説がされていますけど、単に胸を開くとか、肘を残すとか、そういうことはもちろんですけど、さらに力のエネルギー(筋肉の動きと思って頂いても結構です)が、どのような経路を辿ってくるのか、何処が収縮して、何処が伸展するのか、そして呼吸はどうなっているのか、などなど、それは細かに見て(認識して)、その細かさを体感しながら動く(再生する)わけです。
ぅ~ん、分かってもらえました?

太極拳がゆっくり動くのと、同じ理由なんです。
まあ、今の太極拳は健康や、形に重きが置かれていますから、同じとは言い切れないんですけど、ただゆっくり動くのでは意味が無く、気を練るという言い方をしますが、単に気持ちのことではなく、力のエネルギーをどれだけスムーズに流せるかが重要。それもできるだけ大きなエネルギーを。
そうでなかったら、本気で太極拳を戦闘技術として学ぶ歴史が、あったわけがありません。
(マイムしかしていない私がミット打ちで、多少なりとも、ずぶの素人ではないと思わせられた理由は、まさに、ここにあるというわけです。)

当たり前の動きですら、当たり前と思わず、身体内部の何処がどうなって、その次に何処がどうなってって、順を追って全てを感じとっていくんです。
さらには、身体内部にとどまらず、身体外部の何処に意識が行っているか、ということも認識し、再生していくんです。
(私のワークショップや普段のクラスを受講していると、この辺りのことは、こうして言葉で聞くよりは易しいことと感じるとは思うんですけど・・・どうでしょ?)

ですから、私のマイムはある側面から、自分を知る、人間を知る、生き物を知る、ということをしているわけで、これは表現以前の、「存在」そのものに関わる真実の一面を垣間見ている、と思っているんです。
って、大袈裟ですか?

けれど、ここいら辺りのことを、頭ではなく身体が理解しますと、最初に申し上げた、「宇宙」云々のことが、そんな変な宗教じみた話ではないことが、よく分かるはずなんです。
で、この面白さは何ものにも代え難く、頭でこの世の当たり前の不思議さを考える哲学とはまた違った(違ってもいないんですけど)、追求し甲斐のある、いや、追求しなければいられない、重要で切実な事柄になってしまう訳です。

自分は何ものでもないのに、全てであり、自分の外と内は分けられないどころか、実は一緒であり、自分が創造者でありながら、被創造者であり、というようなことが、まあ、否応無しに感じられてしまうんです。

う~ん、やはり宗教っぽい。

誤解のないよう、今後も何度もこのことは、お話していくつもりです。