オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

物質と意識

唐突ですけど、意識は物質にしかあり得ないのでは?逆に言えば、物質には必ず、意識があるのでは?

これは細胞レベルのことではなく、原子とか、陽子、中性子のようなレベル、クウォークでもなんでもいいんですけど、それら、一般的には生命があるとは思えない、いわゆる単なる物質のお話でありまして、これらにも意識があるということなんです。
ただ、意識といいましても、意識があることを認識しているかどうかは、全く別の問題ですよ。ともかく、意識はあるのであろうと、思うわけです。

さらに、意識があるということは、生きているということだとも、思うんです。
意識があるのに、死んでいるって、どう考えましても、変ですもの。
つまり、単なる物質であっても、物質は全て、意識があり、生きている。

一方、意識があるという状態、生きているという状態が、物質としてではなく、物質から分離された所で、存在し得るのでしょうか?と考えますと、生きているけれど、物質ではない、というのは、ちょっとよく分かりません。
物質でないものが、生きているって、どういう状態なんでしょう???
その生きているものとは何なのでしょう???
(生きているというのは、状態を指すのでしょうから、生きている「もの」と言った時点で、既に生きているのは、物質でしかあり得ない、と思うんです。)

とまあ、直感的ではありますけど、最初に申し上げましたように、「意識というものは、物質にしか存在しない」となるわけです。
「物質無しでは、意識もあり得ない」ということです。

考えてみて下さい。私たちの肉体は、原子なんかの集まりな訳でして、それがどう集まっているかだけのことですよね。牛やカエルも、基本的には同じこと。
もし、原子なんかの物質が死んでいるとしますと、死んでいるものが集まって、なぜ生命になるんでしょう?
植物や昆虫、細胞たちも生命です。心臓が動いているとかは、全く別の問題でありまして、これらが、いつ生きている状態になるのか?と考えますと、やはり、その構成物質である、単なる物質の時点で生きていないと、辻褄が合わない。
死んだものは、いくら、どう芸術的に集まりましても、生きたものには、なり得ないと思うんですよね。

そして、生きているということは、意識があるということですから、単なる物質が、意識が無いというのでは、やはり辻褄が合わなくなってしまいます。
単なる物質にも意識がある。

そして、これら単なる物質の意識の集合が、ある時、自分の意識を認識してしまう。それが人間なのではないか?と。
もちろん、ある時点、というのは、全く分かりませんし、何故それが起るのかも、それこそ全く分かりませんけど、それでも、自分に意識があることを自覚してしまうことが、人間を人間たらしめているのだとは思うんです。

まあ、意識の認識と人間云々のお話は、置いておきまして、意識と物質は不即不離の関係と考えますれば、石にも意識があり、生きていて、水にも意識があり、生きていて・・・そう、地球はもちろん、宇宙自体も、意識があり、生きている。ってことになります。

「意識というものは、物質にしか存在しない」「物質無しでは、意識もあり得ない」「物質には必ず意識がある」というのは、あながち変なお話ではないと、思うんですけどね。