オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

いかに楽をするか? ~指導者の言葉を答えとしてではなく”問い”として~

年が明けてすでに1週間以上経ってしまいました。。。


年の初めに大切なお話を。




身体の使い方を学ぶということは、
いかに楽をするか?
ということを目指すんですけれど、


一般的にトレーニングといいますと、
いかに負担に感じるか?
を目指してしまいがちです。



もちろん、身体の使い方を学んでいる際にも、負担を感じるようなことは多々あります。


それはこれまで使ってこなかった筋肉・・・
弱かったり硬かったりする筋肉たちに頑張ってもらう必要があったりしますからね。


けれど根本的に考え方が違うわけでして、
楽をするために頑張るのであって、
頑張った自分を褒めるために頑張るのではないんですね。


・・・いえ、これは言い方が良くないかもしれませんね。


”頑張った自分”といいますと、歯を食いしばってといったように、
感覚を閉じてとにかく回数(量でも距離でも)をこなすでありますとか、
とにかく”耐えた”ということが大事になってしまいますでしょ?


そうではなく、歯を食いしばらないように頑張り、感覚を最大限に開き、
動きの中に何かしら常に新しい発見をしようとすることが大事なんですね。

もちろん、ただ楽なことをしていればいいというのではありませんから、
苦労することや耐えなければいけないことも多いのですけれど、
その中でも、やはり気づきを得ようとする心がけが必要ということなんです。



もう少し具体的にお話しますと、例えば、ランニングなどでの腕振りですけれど、
肘を90度くらいに曲げてしっかり振りましょうというようなことがあったとしまして、
一生懸命そのことをランニングの練習に組み込む・・・

頑張った感は生まれますけれど、その腕振りが本当にその人にとって良いかどうか?
私は良いとは思えないんですね。
(正直言いますと、最悪だと思っています。)


このような場合、腕振りの形・フォームをいわゆる良い形にしようとすると思うのですが、
ランニングに限らず、身体を動かすことにおいて、
形はあくまで内側で起きているエネルギーの結果ですから、
形・フォームを「これです!」とするのは、非常に危険なんですね。


内側のエネルギーを無視した、良いと言われる形を実行しようとすることは、
当然無駄な力を使いますから負担感は大きくなります。
しかもその反復練習ですから、かなりの負担感を生むことと思います。

この負担感に耐えることで、自分は頑張っていると思ってしまうのは、
本当にもったいないことだと思いませんか?
(これで筋力がつくなんて思わないで下さいね。確かにつきますけれど、
もともと無駄な力を生むための役に立たない筋力なんですよ。)


自分の身体の感覚に目を向けない人は、
形を教えられそれを実行する際の負担感に価値を置いてしまいますけれど、
例えばランニングの腕振りはあくまで走るという行為を楽に、より効率よくするために行うのですから、
腕の振り方によって走りがどう変わるのか?
逆に脚の運び方や体幹の使い方によってどう腕の振り方が変わってくるのか?
といったことに目を向けることが重要なんですね。



これは言い方を変えますと、「宝探し」なんです。



身体の感覚に目を向けるということは、

「より良い身体の使い方」「楽」という宝を探す行為なんです。


この宝を見つけるためには、地面を掘ったり瓦礫をどかしたりといったような苦労もあるとは思います。
けれど、
身体の感覚に目を向けない人の頑張りは、
宝とは無関係に地面を掘ったり瓦礫をどかしたりといった苦労自体を目的としてしまっているんです。
それでは宝は見つからないですし、万一見つかった(出会った)としましても、その価値が分らずにまたすぐに苦労自体を追いかけることに戻ってしまうでしょう。



オリンピック2冠の北島康介選手や大リーグのイチロー選手にハンマー投げ室伏広治選手ですら、
常にフォームを微調整、ときには大きな変換をしていますでしょ?
「これです!」というような形は存在しないんです。
それは、あくまで動きを模索しているわけで、決して負担感を目的とはしていないはずです。



動きというものは自分の中に見つける以外にないのですから、
指導者の言葉を答えだと思ってはいけないんです。

指導者(本でも)の言葉を答えとして、感覚を閉じるような耐える練習をしてはいけないんです。



指導者の言葉はあくまで、問いに過ぎないのです。
こういう腕振りをするとどんな感じがしますか?といったものとして捉えた方がいいんです。



答えは自分の身体にあるんです。
言われた腕振りを一生懸命に繰り返すことを頑張ってはいけないんです。
宝としての腕の振り方を見つけるために、感覚を開くことや微調整などの頑張りが必要なんです。



そしてそこで大事なのは、「楽」という宝を探し当てるための
”良い問い”をたてられるかどうか?なんです。


自分でうまくたてられなければ、
そういった「問い」としての指導をしてくれる人を探してみてはどうでしょうか?


もちろん、そういった指導者の言葉は、理解しづらいかもしれません。
何しろ、あなたがこれまで考えたことも無かったような視点からの言葉ですから。


あなたにとってのそんな指導者が私JIDAIであれば、この上なくありがたく、
より磨かれた宝を探し出せるよう協力したいと思います。



ということで、今年も1年よろしくお願い致します。





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