学んでいるのか?
教わっているのか?
あるクラス生、歌を習っていまして、その歌の先生から
「なにげに課題をクリアしてくるよね」
と言われたと。
本人曰く
「(JIDAIの)足の丹田WSのおかげ」と。
このように、専門家の先生から学ぶだけでは、
越えられないものがあるんですよね。
もちろん、専門家にしか伝えられないものもあります。
と、こんなちょっと前にあったエピソードを
紹介しましたら、
最近、クラスに参加するようになった人が、
「これ、思います。
身体が楽器の歌歌いには
身体の専門家が必要だなぁと思います。
私もjidaiさんのWSで得られた事を
絶賛お歌に還元中です~」と。
(Facebook上でのやり取りなので、
ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。)
私のところには、このように一見全く関係なさそうなものを、
自分の何か別のところに転用と言いますか、
活かしている人がほとんどなんですね。
つまり、学んでいる人がほとんど、ということなんです。
レッスンで取り上げたものを
「1対2とか3、4」で扱っているわけです。
これに対して、教わってしまう人は、
「1対1」でしか、受け取れないんですね。
それは、つまり
「絶対の正解」
を得えようとしているのだと思うんです。
自分の外に正解があると信じている。
ですから、それを覚えようとする。
それは、他人に人生を預けていることになりますよね。
それに対して、学べる人は、
「正解」ではなく「素材」を得ているんです。
これが出来ませんと、
自分の人生を歩んでいる感触を得られませんから、
どれだけ立派なものを教わって身につけた気になっても、
漠然とした不安を抱えたままになってしまいますね。
学べていない人は、
覚えることをやめてみてはどうでしょうか?
覚えるのではなく、使ってみる。
DVD『「動き」の天才になる』
新著『「動き」の天才になる!』(第4刷決定!)
2022年初夏 「シアターカイ国際舞台芸術祭」の舞台に立つことを目指します!