表現力を上げるために身体開発をすることは、重要ではあるのですが、
身体開発したからといって、表現力が上がるわけではないんです。
表現にまつわる身体的な技法は、身体能力も大事ではあるのですけど、
むしろ、その表現の内容をどう捉えているか?が重要なんです。
表現力と身体能力、どちらも「〇〇力」と自分自身が持っている能力で、
確かに、身体能力の方は、自分自身の中で完結する能力。
ジャンプ力であるとか、脚が上がる、柔らかいといったものはもちろん、
アニメーションダンス、ロボットダンスのような特殊な動きも、
他人との比較はあるにせよ、自分自身の中で完結する能力ですよね。
ですから、練習しやすく成果が分かりやすいわけです。
一方、表現力の方は、自分自身の中では完結できない能力なんですよね。
相手に自分の表現がどの程度伝わるか?です。
極端な例を挙げると分かりやすいのですけど、
小さな子供を相手にした表現力と、大人を相手にした表現力とでは
違ってくるわけです。
「表現力はあるのに伝わらない」ということは、あり得ない。
それは表現力が無いんです。
といったように、表現力というものは、相手がいなければ成立しない能力です。
自分自身の中では完結できないのです。
ですから、練習しづらい。成果も自分では計りづらい。
表現力と身体能力、どちらも自分自身の能力ではあるものの、
全く性質の違う能力なんです。
表現力には他者の目や心が必要なんです。
もっと言えば、他者の感性を自分の内に持っている必要があるということなんです。
運良くといいますか、天才的な人は、
そんな他者の感性とは無関係に、自分の思いのままに表現して、それが他者の感性に深く届いてしまう。
そんなこともあるのかもしれません。
けれど、それはそれ。
そういったことになっていないならば、意識的に他者の目を自分の中に持つことが大事ですよね。
自分にしか興味を持てない人は、天才でない限り、表現力は上がりません。
さて、冒頭のお話ですけれど、
身体が上手に動くようになり、けれど表現に深く向き合っていない場合、
「ふり」の表現になります。
例えば、「疲れて重たい体を引っ張って歩いている」を表現する場合、
「疲れたふり」になり、不自然に体を引っ張った動きをしてしまいがちです。
何を表現しようとしているのかは分かると思うのですけど、
空気は変わりませんから、心が動かされることなく落ち着いて観ていられます。
小さな子供相手なら良いかもしれません。
そんな感じなんです。
身体をどれだけ上手に動かせるようになっても、
表現の内容を浅くしか捉えていなければ、
宝の持ち腐れなんです。
そもそも、上がった身体能力に気持ちを込めることと、表現力は無関係です。
そこに他者は存在しませんでしょ?
では、どうしたら他者の目を持てるのか?
それは、本来誰もが持っているんです。
自分も他者から見れば、他者ですものね。
その他者を自分に向ければいいんです。
このあたりのお話は、またの機会に。