上手に出来る人が、教えることも上手とは限らないのは、多くの人が感じていることと思います。
要因の一つに、出来る人は自分のやり方・出来る感覚だけで十分だからというのがあるんです。
既に問題なく出来ていることを、わざわざ他のやり方・感覚を探る必要がないですものね。
その時間を、さらに上のレベルのことのために使いますでしょ?
それとですね、既に出来ていることの質を上げようとすしますと、一般的には感覚を深める方向に行きます。
で、そういったものを伝えるだけなので、ピンと来る人にしか伝わらない。
もちろん、私も同じようなところはあるのですけど、気質的にでしょうか? 教えを受けてくれる人が出来るようになって欲しい気持ちが強いので、自分が出来ていることに対して色々と違ったアプローチを探るんです。
同じような動作に対して、感覚を深める方向で探るのではなく、アプローチそのものを変えるということですね。
で、そうするとですね、そうやって見つけた(気づいた)アプローチが、自分自身の既に出来ていることを更に一歩進めてくれるんですよね。
いえ、もう少し正確に言いますと、これまでちょっと曖昧であったある種の動きが、ここしかない!といった感じになったりするんです。
最近も、とんでもないアプローチを見つけてしまい、これまで教えるのに散々苦労してきたことが、最も簡単に解決してしまうということが起きているんです。
そうは言っても、身につくまでには、時間がかかるでしょうけれど、この感覚を意識的に再現・体感出来るのは力になりますし、私自身も、これまで考えたこともなかった姿勢でのエネルギーの通りがバシッ!と決まる感覚を味わっています。
ところで、このような斬新なアプローチも、人によっては「大体、いつも通りの感じです」ということもあるんです。
でもこれ、当たり前なんですよね。
元々、以前からその動作が出来るように、その感覚を得てもらおうと指導してきているわけですから、すでにある程度出来ている人にとっては、「こんなアプローチもあるんですね」といった受け止め方になります。
まぁそれでも、その新しいアプローチによって、私と同様これまで以上の発展的な動作が出来るようになることは間違いありませんから、厳密には「いつも通り」ではないんです。(私にとっても、厳密には「いつも通り」ではないのです。)
このあたりのことを逆に言いますと、新しいアプローチによって、これまで出来ていたことが出来なくなるなら、それは出来ていなかった可能性が高いわけです。
さて、長いこと指導していますと、このような同じ動作・感覚のための様々なアプローチが生まれるわけですけど、どのアプローチがその人にとって一番しっくり来るか?ピンと来るか? それは本当に人それぞれです。
相性もあるでしょうし、レベルもあります。時機・タイミングも大事。
と同時に、教える側も教え方を探ることで、視界が開けたりもします。
教えを受けてくれる人がいるから進んでいけるという面があるわけです。
ありがたいですね。