静寂とは、音がないということではないのです。
静寂とは、あらゆる音を内包している。
あるいは、
静寂とは、あらゆる音と音をつなぐもの。
静寂こそ、マイムの命だと考えるのですが、静寂とは豊かな音と同義だと思うのです。
ドレミという音階、ドとレの間、そこは穴のようなもの。
けれど、その穴のようなドとレの間にも、無数の音が存在します。
その無数の隣り合った音と音の間は、やはりどこか穴のよう。
穴を想定しなければ、隣りの音は存在しない。
けれど、穴それ自体では存在し得ない。
ドとレがあって穴が生まれ、
穴があるからドとレが生まれる。
静寂とは、この穴のようなもの。
音のない静寂はない。
静寂とは、音を生み出す源。
静寂とは、音を光にたとえると、影のようなもの。
影が光の姿を描くように、静寂が音の姿を描き出す。
静寂こそ、私のマイム。
私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう。
プリズムのみが、その光を分光し、多彩な色を現出させることができる。
私の音楽におけるプリズムとは、聴く人の精神に他ならない。
また、「音楽にとって大事なものは、”休符”である」と語ったという話もあるようです。
アルヴォ・ペルトと私を並べているわけではなく、アートマイム、オーガニックマイムのお話。
雨の日の公園で、「静寂の身体」に思いを馳せていて、こんなことを考えていました。
10月4日 『身体感性を育てる〜身体と想像力〜』
Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!