オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

他人からどう見られてるか?〜身体は雄弁〜

「他人から、どう見られるのか?」
 
という今回のお話、
 
舞台(人前)に立って表現する人を念頭に進めますけれど、
どなたにも共通する内容かと思います。
 
 
 
身体は思った以上に、雄弁でして・・・
 
と、そんなことは知っていると思われるかと思いますけれど、
そのように知っている以上に、雄弁なんです。
 
 
 
ですから、
 
身体が内面に繋がっていることに

無頓着で舞台に立ってしまいますと、

意図しない表現が

だだ漏れになってしまうのです。
 
 
 
だだ漏れです。
 
 
そうしますと、表現したいもの自体が覆い隠されてしまいます。
 
 
つまり、
 
表現したいことは伝わらず、

気がつかないままに、

余計なものが伝わっているということなんです。
 
 
 
しかも、無頓着というのは、
身体が内面に繋がっていることを分かっていない、ということだけではなく、
コントロールできていない状態全てだと考えて下さい。
 
 
分かるだけで、上手くいくならいいんですけど、
身体は不自由です。
 
自分が表現しているところを映像で見ると
よほど、おめでたい人でなければ、がっかりしますでしょ?
 
 
 
さて、この「内面と繋がっている身体のコントロール」に関して、
多くの人が、こんな経験をしたことがあるのではないでしょうか?
 
手の位置をどうしたらいいのか?
 
迷ったことありませんか?
 
 
 
手は動かしやすい分、最適…とまでいかずとも、
余計なことを語らせないようにするのが、
思いのほか難しいんですよね。
 
 
例えば、手(腕)をぶら下げるようにしていると、
それは、その人(舞台上の人物)の“生きた”体ではなく、
神経のいっていないケガをした、幽霊のような手(腕)に見えます。
あるいは、
やる気がないように見えます。
 
 
例えば、手を軽く握って太ももの辺りに持っていっていると、
緊張などで体が動かなくなっているように見えます。
 
もし、そういった表現を意図してるのでしたら、
能動的に観客にその意図を“はっきり”伝える必要があります。
 
 
その手の形が、
舞台上の人物としてではなく、
役者本人の無意識のせいなのか、緊張のせいなのか、
あるいは、手持ち無沙汰なんだな、
と思われてしまうようでは、
それはもう、失敗なんです。
 
 
こういったことに対しまして、
意味を伝えることを意図しない「踊り」は、
その点、とても有利です。
 
「本当は○○を意図した動きのはず」
という正解が、観客に提示されてないので、
表現に(観客から見ての)間違い、失敗の起こりようがないのです。
 
 
これは、この後の、
舞台に立っている人を、観客はどう見るか?
に通じる話になります。
 
 
 
と、動かしやすいところのコントロールが難しい一方で、
意識の行きづらいところはなおさらです。
何しろ、動かしづらいんですから。
 
顔の表情や、ただ立っている姿勢なんて、最たるものです。
 
本人は真剣な表情で、キリッと立っているつもりが、
はたからは、ふざけた顔でダラッと立っているようだったり、
怖い顔で全身をこわばらせているようだったりする。
 
 
 
そもそも、舞台に立った時点で、
「普通」とか「自然」というものはないんですね。
 
 
舞台に立っている人を、観客はどう見るか?
 
 
本人が意図しない、
ちょっとした目の開き方や目線、呼吸、重心の位置(つま先、踵など)
そんなこと全てから、表現を読み取ろうとするんです。
 
日常では気にならないものでも、細かいところまで気になるものなんですね。
 
 
もし、舞台に立ったあなたが、どれだけ「普通」とか「自然」でいたとしても、
観客にとっては、「普通」でも「自然」でもないんです。
 
あなたがじっとしていれば、観客はじっとしていることの意味を考えるものなんです。
あなたが、一歩でも歩けば、その意味を、十歩歩けば、一歩とは違う意味を。
 
 
 
先ほどの「意味を伝えることを意図しない踊りは有利」
というのは、このことですね。
 
観客が“勝手に”意味を考えてくれます。
 
(「この踊りをどう解釈するかは、お客さんの自由です。」
という言い方をよく耳にすると思います。)
 
 
 
さて、アートマイム、オーガニックマイムが身体表現というよりも
「身体“演技”」だという言い方をするのは、
このあたりのことがあるからなんです。
 
このマイムは
踊りではなく、芝居・演技です。
 
 
言葉を全く使わないからこそ、
身体の全てが何かを常に語ってしまうことに対して、
センシティブに向き合うのが、このマイムになります。
 
 
身体“演技”を学ぶというのは、
 
単に身体がよく動くようにというだけではなく、

この「だだ漏れ」を無くすことが、極めて重要になります。


そのことで、
 
表現したいものの伝わり度を

できるだけ100%に近づけるんですね。
 
 
大抵は、表現しようとすることばかりに、気がいってしまいますけれど、
だだ漏れという雑音を消すための身体操作を学ぶことで、
表現の純度が高まるというわけです。
 
 
 
最後に。
 
この「だだ漏れ」が、舞台上の人物としての存在を台無しにして、
普段のあなたを見せることになってしまいます。
 
 
自分(普段のあなた)を見せて、応援をして欲しい!

というスタイルを望まない方には、

きれいに動く、よく動けるという身体運動的な意味とは別に、
身体での演技という意味での身体表現を学ぶことは
大きな力になると思います。
 
 
 
 
 
 
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『刀の扱いから、

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『心と体がひとつになる呼吸

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