オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

2006/08/17 Thu 無は有であり、有は無であり・・・ってことでしょうかねえ。

大いなる自己とか、ハイヤーセルフとか、しまいには神の声だとか、あれは何でしょう?

実際にそういうものがある(いる?)のかどうか、私には全く分かりませんが、まあ、仮にいるとして、それからの教えみたいなものは、本当に自分を超えたものなんでしょうか?
そして、自分を超えたものに、意味があるんでしょうか?

神の声が、何かを教えてくれたとしましても、その中味の理解度は、自分の範囲内でしかないと、思うんですよね。
どんなに素晴らしい内容の言葉や出来事であっても、受け取る力が無ければ、その素晴らしさも、ただ平凡なものになってしまうわけです。

大いなる自己や、神がいるかどうかは、大事なことではないと思うんです。どういう言葉を、発してもらったかではなく、大切なのは、どういうように受け取ったか。受け取る力。自分自身の問題だと思うんですよね。

何年も前に出会った言葉が、今になってようやく分かった、なんてことありますでしょ? サの「分かる」ことが、重要なんであって、その言葉が誰の言葉かなんて、どうでもいいことではないかしら?
小さな子供の何気ない言葉に、ドキッとさせれることだって、あると思うんですよ。ドキッとなれる、そんな自分自身が凄いのであって、子供は何も意図してやいませんよ。

いわゆる人間以上の存在みたいなものを、想定した方が、納得しやすい面はあると思いますから、大いなる自己でも、神でも何でも想定していて、一向に構わないんですけど、あくまでその人の心の内レベルの話にしておかないと、実在するかのように、なってきてしまいますと、もともと個人の心の内のことだったわけですから、あっちとこっちで、その中味は当然違ってきますよね。
これが、行き過ぎると、宗教間の争いのようになるんだと思うんです。

ハイヤーセルフも神もいないんですよ・・・そう、逆に、裏を返せば、全てあらゆる所・時に、ハイヤーセルフも神もいるんです。
このどちらかでしか、あり得ない。完全にいないか、完全にいるか。
時々現れたり、どこかに現れたりなんてことは、ないんです。それは気が付いていないだけ。気が付けない自分に、気が付けばいいんで、神が現れてくれないなんて思っても、仕方ない。

自分をとことん信じるか、ありったけ気が付くか・・・あ~・・・でも、何かの凄い力で、導いてもらえたらなぁ。。。