オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

パントマイムのワークショップに我思う

パントマイムのワークショップなどのPRで

「言葉を使わなくても伝わる」
「言葉を使わなくてもコミュニケーション」


みたいなことを言いますけれど、正直なところ、私には眉つばなんですよね。

非言語コミュニケーションといいますのは、何も特別なことではなく、
私たちの日常ごく普通に行っていることではありません?

言葉を交わさずとも、
あぁ、あの人機嫌悪そうだなとか、疲れているみたいだなとか、何かいいことあったのかしら?
って、なんとなくでも感じ取っていますでしょ?

言葉を交わしている時ですら、言語情報以外のことが、どれだけ重要か・・・

メラビアンの法則によりますと、私たちが会話している際、何に影響されているか?を
お話の中味である言語情報が7%、声のトーンや話す速度などの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%
というではないですか。

パントマイムを特別視してはいけませんね。

いえ、パントマイムを体験したからといって、そういう能力(言葉によらないコミュニケーション能力)がアップするかどうかは、
疑った方がいいわけです。

パントマイムをやっている人のそういった、人の心理を読み取ったりや、非言語コミュニケーション能力といったものが、
他の人たちに比べ、格段に上手だということ・・・あると思います?

私なんて・・・あぁ~~~~

もしそういう能力を鍛えたいのであれば、もっといい方法があると思うんですよ。

パントマイム体験なんていいますと、下手をしますと、
ごっこ遊びや、ジェスチャー合戦、他人の気持ちの当てっこゲームに、
果てはイメージばかりを膨らませる妄想訓練になりかねません。


仮にもし、体を使う喜びみたいなことであれば、よほどダンスの方が、楽しいと思いますよ。
音楽の力は大きいですしね。

・・・ひぃ~~~っ!きっつぅぅぅぅ。。

とまあ、かなり厳しいことを言っておりますけれど、
私が思いますパントマイム体験の要(かなめ)は、
心と体の繋がりの体感なんです。
理解ではありません。体感。

(体感の無い理解は、単なる知識。基本的に役には立ちません。)

それともうひとつ。
言葉という言語情報を発する前に、いえ、もっと前、言葉が頭の中に生まれる前に、すでに心と体が動いているということ。
言い方を変えますと、心と体が言葉を支配しているということ。

これも、体感が大切です。

私はパントマイム体験を通して、
楽しさを味わってほしいとは思っていませんし、こんな面白いことができるんだぁということも、おまけみたいなものなんです。

何を感じてもらえたら嬉しいかといいますと、それは

驚き。

自分の心と体に対する驚き。

知識としての驚きではありません。
体感することで生まれる驚きです。


この驚きは、必ず喜びに繋がります。
自分の心と体に新しいところを発見した驚きが、喜びにならないはずがありません。

楽しさは、受動的。
喜びは、能動的。

喜びこそが生命のエネルギィ~~~ィッ!

とまぁ、そういうことなんです。

なんだか難しそうですけど、どう体感してもらうかというやり方は、親しみやすくしないといけませんね。

ここは私の責任。
しっかりせねば、、、です。