JIDAIマイムのレッスンは、とてもよく体を動かしますけれど、それはもちろん、動けるようになるためではあるんですけれど、もうひとつ大事な目的があるんです。
むしろそっちのほうが大事なんですけれど、それは
「動かないでいられるようになること」
これは決していわゆる大道芸の人間彫刻のような意味ではありません。
「動きを内在させる」
ということなんです。
目に見える動きといいますのは、内在した動きが外に現れてきたものであって、自らその外側に当たる体を動かすことではないんです。
これは単に肉体レベルのことだけではなく、感情などの心の内というものも同じ。
怒りや悲しみ、喜びといったものも、体の中の内在したエネルギーが外側の体の形や動きに現れるのであって、自ら外側をいじることではないんです。
一般的にパントマイムといいますと、外側の動きばかりが注目されます。
それは「パントマイム=大道芸」と思われてしまうような・・・かつ、「パントマイム=芸」と思われてしまうことと無縁ではないでしょうね。
よく、「パントマイムをやっているんです。」と言いますと、「じゃあ、カベとか出来るの?見せて見せて!」っていう状況になりますね。
まぁ、それはさておき、JIDAIマイムにおきましては、
「動かないでいられるために、徹底して本当の動きを学ぶ」わけです。
弓道(術)の世界では有名だと思うんですけれど、オイゲン・ヘリゲル氏が師に弓を習っているときに、
「矢を自分で放ってはいけない」
といわれて、じゃぁ、誰が放つの???ってなるんですけど、究極的には動きを内在させるということも、そういうことになっていくのだと思うんです。(かなり生意気ですね。ごめんなさい。。。)
「自分で体を動かしてはいけない」
マイムを技術だと思っていてはいけないのです。
自分の精神、心の現れなんです。
いえ、まぁ、偉そうですけれど、そこを目指すということで、、、私が出来ているというわけではありませんで。。。
けれど、動きを内在させるために本当の動きを探求していくといいますのは、とてつもなく面白いものですよ。
筋肉信仰ではない世界。
自分の体が、動きが自然の中に溶け込んでいく感じ。
自分の体、心への信頼感が、動きを内在させる力となります。
動きが内在しているとき、幸せを感じます。
「マイムから心と体の平和へ」を謳っていますのは、決して抽象的なことではないんですよ。
なんだか話がそれてしまいましたね。このへんでやめておきましょう。