オーガニック・アートマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

シアターマイムって・・・

シアターマイムって、大道芸マイムとは単に演じる場所が違うってこと?

・・・ではないと思うんですけど、その前に・・・

パントマイムは小説のようにお話を語ることで何かを伝えるということには、非常に不向きだと思うんです。

ストーリーやお話の展開が重要であるのでしたら、セリフを使った方がいいわけで、
無理にしゃべらないでやることはないと思うんですよね。

それにですね、言語情報によらないで伝えられる言語情報は、伝わったところで体したものにはならないんです、、残念ながら。。。

もし、ストーリー展開で引っ張っていくのでしたら、マイムで行ういろいろな動きが、間違い無くきちんと観ている人に伝わるように、
すご~く気を遣った方がいいですね。

特に、お話の展開が最後にどんでん返しみたいなことをしようとなりますと、
それこそどれだけ気を遣っても遣い過ぎることはないと思うんです。

まぁ、つまりですね、複雑な話は向かない、ということですね。

それと、作っている本人には複雑な展開ではないと思っていましても、
今のこのシーンはその前のシーンとどういう繋がりがあるんだろう?
というのが、明確に伝わりませんと、
観ている人は???
と思っているうちに話が進んでしまい、ついて行けなくなってしまうんです。

例えば
「現実のシーンと空想のシーン」
「現在のシーンと過去のシーン」
「Aという人格のシーンとBという人格のシーン」
などなど、

その繋がりと、それぞれのシーンが明確に違うシーンなんだということをきちんと伝える必要があるということですね。

マイムは自由度が高そうなために、つい1人2役とか、主人公が置かれている状況(場所)を変化させてしまいますけど、
本当に伝えられているかどうかは疑った方がいいと思うんですよ。

さらにもうひとつ。マイムらしさの特徴でもあります、(実際には無い)何かモノを扱っているという動き、
これも、もしかしたら伝わっていないのでは?と思った方がいいですね。

・ ・・あぁっ!こんなんでは、マイム作品なんて作れないぃ~~~っ!

って、思ってしまいますよね。
でも、そうなんですよ。

マイム=道具やセリフを使わないお芝居
・ ・・ではないんです。

1人芝居の人がほとんどセリフ無く演じていたら、それがパントマイムか?といいますと、少なくとも私はそうでないと思うんです。

いえ、違わないといけないと思うんです。
そうでなければ、マイムが表現形式のひとつになり得ませんもの。

観ている人にとりましては、パントマイムが何か?なんてことより、
それが興味を持てるものかどうか?が重要ですけれど、
やる側は少なくともパントマイムと謳う以上は、考えてもいいと思うんですよ。

マイムが芸術(表現)の1つの分野であるためには、
多くのマイマーに立ちはだかるこの壁を越えなくてはいけないと思うんですよね。

シアターマイムはこの使命を背負っているんだと思うんです。

で、私はずっっっっっっと悩んでいるわけです。

パントマイムって何???