オーガニックマイムJIDAI の「身体」「表現」考

オーガニックな身体の使い方、表現についてのいろいろ。時々、甘いもの。

喜び!

先日のワークショップのお話の中で、心と体を発見する驚きを感じて欲しく、そしてそれが喜びに繋がる
ということをお話しましたけれど、何を隠そう、実は、
その喜びを感じている姿をみることが、私にとっての大きな喜びなんです。

本当に、この上ない喜びなんです。

みんなの喜びに出会った時の目は、
まるで好奇心を満たされた子供の目のようでもあり、
深遠なものを見つめる静かな目のようでもあり・・・


この目が私にエネルギーを、私に生きるエネルギーを与えてくれるんです。

随分前にもお話しましたけれど、パントマイムを生活の中心に置いていく人は稀なわけですし、
仮に今は中心的な位置を占めていたとしましても、将来は全く分かりませんでしょ。

ですから、ただマイムのテクニックが出来るとか、ちょっと人前でパントマイムをやるとか、
そういったことは、生きるということにおいて、そんなに大きなものではないと思うんです。

(生活の中では、楽しいと思いますけど。)

けれど、心と体に対する発見は一生の財産になると思うんです。

そして、この心と体に対する態度・姿勢は死の間際まで持って行けるのでは?と思っているんです。

例えば、パントマイムを人前で演じ、賞賛を浴びたとしまして、
そのことは、死の間際に持っていけるか?
と考えてみますと、絶対に不可能ですね。

それはあくまで、思い出すという行為でしか成り立ちませんもの。
今という時ではあり得ません。

世の中で得ることの出来るモノ、経験、全てが、死の間際では過去のこととしてしか成立せず、
今という時に得ることは無理なんです。

ところが、心と体に対するこの態度・姿勢は、死という未知の経験の瞬間において、
また新たな発見をするという、
まさに今という時を生きることが出来るのでは?と思うんです。

まぁ、実際にどこまでそんなに冷静でいられるかは、もちろん分かりませんけど、
可能性としては十分あるわけでして・・・

でも、どうです?
死の間際に、自分の心と体に対する新たな驚きが得られるんですよ!
喜びじゃありません?

死の間際に大きな喜びが得られるなんて・・・!

(人様に感謝しながら死んでいくのも、捨てがたいですけど・・・)

とまぁ、大袈裟なお話でしたけれど、最初に戻りまして、
自分の心と体に対する発見と驚き、そして喜び、
これを感じてもらうことが、私の使命であり、喜びなんです。

単にパントマイムを教えたいのではないんです。