パントマイムの作品といいますのは、セリフも道具も何もなく、演者ひとりで全てを表せますから、非常に自由なんですけど、
これは良くも悪くも、という但し付きなんですよね。
今回は、以前『頭を使わせないでっ。』でお話しましたことのひとつを、具体的に取り上げてみました。
例えば、パントマイムの舞台が、主人公が座って本を読んでいるシーンで始まったとしましょう。
演者はトイレの中でひとりリラックスして、という設定のつもりだとしましても、観る側はそんなことはまず考えませんよね。
おそらく、これを読んでいるあなたも今、それは部屋の中、あるいは公園かなぁって、思うと思うんです。
で、トイレや図書館なんていう特殊な設定ではなかったとしまして、
それでも部屋の中なのか?公園という屋外なのか?ということは分かりませんね。
ここで主人公が寒がったとします。
どうでしょう?
まだ何とも言えませんね。
さあ、次に足元に何かがあることに気が付きました。
まだ分かりませんねぇ。。。
それを拾い上げ、ちょっと辺りを見回しました。
う~ん、、、どっちなんでしょ???
それに、その拾い上げたものは何???
ボールですと、公園の可能性が高くなりますけれど、ボールくらいの大きさの紙屑だとしますと、微妙なところですよね。
(それも、紙屑なのかボールなのか?がはっきりと分かったとした場合でもですしね。)
で、ここでその拾い上げたものを隣に座っている(らしい)人に渡したとしましょう。
きっと、間違いなく、これを読んできたあなたもびっくりしますよね?
「えっ?隣にだれかいたの???えっ?えっ?・・・それとも幽霊みたいな人でもでてきたの?そこはどこ?隣の人は誰?」
さて、例えば、演者は最初から隣に人がいるという設定で、
その人が落としたモノを拾ってあげることをきっかけに、何かドラマが始まるというストーリーを演じようとしていたのかもしれません。
けれど、観る側としましては、部屋なのか外なのか?ということをはっきりさせたいなぁ、と思っているところに、
突然考えてもいないような状況が出てきてしまいますから、これは非常に大きな混乱の中に引きずり込まれてしまうことになりますでしょ?
一旦こうなりますと、観ている人は、その後のストーリー展開の中で、なんとかこの混乱を整理しようと、必死に納得できる状況設定を探すことになってしまいます。
ですから、その後の主人公の感情の起伏みたいなものは、全く見えてこなくなり、ただただ、やっていること(ストーリー)を理解することだけに、全神経を集中させていく・・・どうでしょう?舞台マイムにありがちな状況。。。
今こうしてお話してまいりましたことは、舞台上ではごく最初の1~2分のことでしょう。
始まって1~2分にもかかわらず、もう既に混乱が始まってしまうわけで、
おそらくこの後、さらに新たな分かりづらい状況が出てきて、
混乱の上に混乱が重なり、混乱の2乗、3乗と積算(積み重ねではなく、かけ算!)され・・・
ああ~~~~~~っ!!!
マイムはお芝居に似てはいますけれど、お芝居と同じに考えてしまいますと、このような作りになってしまうんです。
マイムの自由さを演者が味わいすぎますと、その分、観ている人の混乱度が増す、ということ。
観ている人が、余計な混乱をせずに済むように、そして、しっかりと作品の世界に入ってきてもらえるようにするためにも、マイムの作品づくりにおきましては、
そのシーンを自分が何を思って演じるか?ではなく、
そのシーンでの自分(主人公)の行動を、お客さんがどう解釈するか?をよ~く考えることだと思うんです。
簡単なことではありません。
私もいつもいつも、悩んでおります。
う~ん、、、これで分かるのかなぁ?
う~ん、何でこれで分からないの?
悩みは尽きませんね。
それでも、そうやって悩めば悩むだけ、少~しずつお客さんの心に近付けるわけです。
(と、私は思っています。)
あなた本人のキャラクターだけで、お客さんの心に近付くことも可能ですけど、
作品が近付くようにしてあげることは、とっても大切なことだと思うんです。
良い作品を作っていきましょっ!